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 お父さんがいて、お母さんがいて、子どもがいる。そんな「ごく普通の家族」というものが、実は、ひとつの〈物語〉にすぎないことくらい、おそらくこの「読書人」をお読みになっている方であれば、先刻ご承知のことと想う。とはいえ、この手の生活に密着したタイプの社会的な〈物語〉というのは厄介なもので、頭では分かっているつもりでも、自らの寝食のレベルにまで推し拡げて、ことを実践するのはけっこう大変なものである。
 この、大人にとってすら大変な、家族の〈物語〉は、子どもにとってみれば、なおさら大変な代物となる。子どもという生き物は、日々、社会化されるための「教育」にさらされ続けているせいか、この「普通」という〈物語〉に、ひどく敏感で従順だ。男らしくあることや、女らしくあること、そして、子どもらしくあることが、彼らにとって重要な価値とされることはいうまでもなく、それは当然、フツーの家庭に育っていることも大きな問題とされる。
 ところが、この家族の問題の困ったところは、仲の悪い家族や、変り者の親・兄弟、果ては、離婚、別居にいたるまで、「普通」らしさと照らし合わせて頭を悩ませてみたりしても、所詮、自分一人の力ではどうにもならないという点にある。自分の夢を勝手に託し、幼少の頃から妙チクリンな特訓を施され、反抗すればチャブ台をひっくり返す親父がいたとしても、結局、子どもである以上、泣くだけ泣いたら帰っていくしかないのである。
 そんな彼らを少しだけ楽にしてあげられるのは、勿論、「普通」という〈物語〉を蹴っ飛ばしてくれる物語なわけで、実は、今回の三作品は、そんな話なのだ。
 ハンサムガール』(佐藤多佳子・作/理論社/一二00円)は、元プロ野球選手(二軍までだけど)で、今は専業主夫のパパと、単身赴任もものともしないキャリア・ウーマンという、フツーじゃない家庭を持つ二葉の話だ。少年野球チームに入って奮闘する彼女のがんばりと、ママのがんばりがオーバーラップするのがミソで、周りの意識を変えるのは、結局、毎日の積み重ねしかないとしう展開がマルである。
 まま父ロック』(山中亘・作/偕成社/一三00円)は、いかにも企業戦士といった風情のパパと離婚したママが、売れっ子評論家の雪影静歩先生と再婚し、フツーじゃないけど「私たちらしい」家庭を新たに作っていくというお話だ。フェミニズム色はほとんどないが、「大人らしさ」「子どもらしさ」という点から、家族を物語っている。作者山中亘が、断固として自分ではないと言い張る、「とんでもねぇ」大人の雪影先生が、締め切りを過ぎないと原稿に手を付けないというところなど、個人的に、いたく気に入った。
 ママのおむこさん』(C・ネストリンガー・作/酒寄進一・訳/偕成社/一四00円)は、ママがパパと別居して、おばあさんちで暮らさなければならなくなった主人公が、この苦境を脱するべく奮闘する話だが、おばあさんと大おばさんの二人の年寄りの個性がきわめつけである。
 三作とも、家族という〈物語〉を解体する方向で書いていながら、ライトでポップなコメディに仕上がっているのが素敵である。この手の問題は、ややもすると書き手の問題提起だけで、終わりがちなものが、ちゃんと読まれることを想定して書いているのがよい。もちろん、問題提起をした上で、演算を施し、解答にいたるタイプのものにも、楽しいものはあって、そちらが好きな人は、ひこ・田中『お引越し』と『カレンダー』(ともに福武書店)がお勧めである。映画『お引越し』も近日公開だそうだから、こちらもどうぞ.。
 ところで、ひこ・田中の作品を引き合いに出して気付いたのだが、この三作、偶然にも共通して主人公に姉がいる。もしかすると、明るくポップに家族の〈物語〉を解体するには、キャラクターを分解して、理性や女性性を引き受ける役割を別にする必要があるかもしれないとも思うが、これについては「ひらり」を見ながら考えることにしよう。(甲木善久)
読書人 1993/03/15

テキストファイル化 妹尾良子