『現代日本児童文学への視点』(古田足日 理論社 1981)

児童文学的資質と自己表現

 1

 児童文学、今日の不振について、進藤純孝氏は「現実凝視」がないからだといい、高山毅氏は「自己表現」がないからだという。
 この両氏の説はニュアンスの差こそあれ、ほぼ同一のことを述べているものと、ぼくは思う。つまり「現実に対する態度というものは、文学の根本にかかわる重要な問題」(進藤)であり、「人生と社会との対決によって得た作家の感動こそが、子どもの心をうつのではないか」(高山)という両氏の発言は、いわば文学の出発点の問題であり、したがって、児童文学者たちは「まず文学のABCに回帰して出発し直す必要がある」(高山)ということになる。
 今日の児童文学作品、例えば高山氏が例にひいた日本児童文学者協会編『わたしたちの童話教室』所載の作品の多くについて、ぼくは文学性の低さを感じる。児童文学が不振といわれる理由のひとつはまずこの文学性の低さであり、次には、子どもにおもしろがられないということになろう。そして、その結果としての創作出版の量の絶対的貧困、この三つが不振の三要素であり、そのなかでも文学性の低さが最大の要因であって、文学のABCに帰れという言い方が出てくることは、まったく当然のことだと思う。
 しかし、そのABCが自己表現や現実凝視であるということは、どうなのか。いや、児童文学の場合、文学のABCという言い方はそのまま通用するものなのか、どうなのか。なぜ、児童文学のABCに帰れといわないで、文学のABCに帰れというのか。
 自己表現ということばを広く考えれば、自己表現のない文学(児童文学を含んで)存在は考えられない。問題は、その質と形なのだ。今日、伝達の作用を望まず文学作品を書く人は存在しないであろう。自己表現ということは同時に、自分の考えを他人に伝達することだ。伝達するだけでなく説得し、自分の考えどおりにその読者を動かすことだ。児童文学の場合、読者である子どもに伝達できる形をとったものとして自己表現は存在する。かつて坪田譲治は読者を遠心力、自己表現を求心力にたとえ、その力の釣合いのところで作品ができあが
るといったが、読者が子どもである場合、その作品はどのような内容と形を持つのか、その一般的法則はまだ明らかにされていない。そして、文学の題材は無数に存在していて、同一材料をある人は詩にし、ある人はおとなの小説にし、ある人は少年小説にする。その題材の根元は高山氏のいう人生への感動、対決にあるわけだがそれがおとなの小説にはならないで子どもむきの作品になっていくのは、どういう経路をたどるのか。この経路にこそ児童文学作品成立の一般的法則がかくされており、ぼくたちが考えなければならないのは、文学のABCよりも、この児童文学のABCであろう。
 つけ加えれば、ぼくには次のような疑いがある。ぼくは学生の時に、同時に児童文学と小説のグループにはいった。はいった当初、ふたつのグループのメンバーは、同程度と思われる作品を書いていた。二年たった。その差はものすごく開いた。児童文学のほうは取残されたのである。今日の児童文学者たちを見ていても、才能の点では、小説家たちに劣りはしない人びとがたくさんいるものと思う。人間である以上、持って生まれた才能に、そう大きなへだたりはないはずである。それが一方は小説の世界でもまれ、一方は児童文学の世界で育っているうちに、文学のABCに帰れというようなことをいわれるようになってしまうのは、なぜなのか。
 児童文学は無風地帯であり、またその才能をひきだしながら生活の資を与えていくというジャーナリズムが存在していないからだという答が、一般的には予想され、ことにジャーナリズムの問題は重要であるが、しかし、ぼくはそれだけでなく、その理由の一半を今までの児童文学のなかに求めたい。
 だれでも、創作にとりかかる場合、既成の作品がモデルになっている。明暸な意識を持たないでも、このようなものが児童文学だなという漠とした観念で人は創作にとりかかる。そして、この観念は漠とはしていても、それなりの形を持っているものだ。
 作家の出発点になるこの形にぼくは疑いを持っている。今までの児童文学の形では作家は成長しない。作品の生まれる過程を考えれば、まず人生・社会に対する感動、ショックがあるが、その感動が、どのようなイメージとコンストラクションを作りあげていくか。ひとつのモチーフが児童文学作品に結晶するのには、イメージのつみ重なりが必要なので、そのイメージをどうのようにつみ重ねていくかということ、それによって感動が深まり、社会との対決が深まっていくというイメージのつみ重ねを、どのようにして行なうか。書くということは、散文の場合自分は感動しているという表現ではなく、その感動と感動をおこさせたものの正体を追求していくことである。
 だから、書くことによって、作家の眼は今までより深く現実を見ることになり、最初の感動、ショックは変質していかなければならない。$B$3$&$7$?@.D9$r$O$P$`$b$N$,!"=>Mh$N;yF8J83X$N$J$+$K$O4^$^$l$F$$$?$N$G$O$J$+$m$&$+!#<+8JI=8=$,$J$$$H$$$&$h$j$b!"<+8J$rJQ<A!"@.D9$5$;$k!"$D$^$j?M@8$H<R2q$KBP7h$5$;$k$b$N$,!":#$^$G$N;yF8J83X$K$O7g$1$F$$$?$N$@!#

 2

 青春期、ひとりの人間の前には多くの可能性が開かれている。彼は政治家になり得るし、よき教師にもなり得るし、よきジャーナリストにもなり得よう。社会的制約により、その選択の自由がおおいに制限されていることはいうまでもないが、その限られた選択のなかにも、いくつかの可能性がある。彼は小説家にもなり得たかもしれないが現在は児童文学者であるとするなら、彼は自らの可能性は児童文学に賭けたわけである。
 この彼を、一般文学ではなく、児童文学にひきつけたものは、いったい何なのか。今日、児童文学の同人誌の数は多いが、もしも利害打算を考えれば、この人びとは小説を志すほうがずっとよい。小説であたれば、文名おおいにあがり、その収入も社会的地位も児童文学者の比ではないはずだ。にもかかわらず、この人びとを児童文学にかりたてるものは何なのか。
 今日の中堅作家、関英雄はかつて宇野浩二論を書き、小説を書いたが、その青春の一時期、決定的に彼をつかんだものは、おとなの文学ではなく児童文学であった。この児童文学へのモチーフを抜きにして、児童文学のあり方、本質を考えることは不可能であろう。そのモチーフが伸ばしきれないところに、児童文学の文学性の低さが出てくるのだから。自己表現がないということは、一般的には作者を児童文学にかりたてたものが出ていないということになるのだ。
 ところで、自己表現ということばをきくと、ぼくはまず宮沢賢治を思いだす。彼にあっては、読者の意識はけっして明暸ではない。月三千枚を書いたという伝説や、彼の作品のほとんどが死後出版されたことも考えあわせよう。彼は、いわば純粋に書きたいものを書き、その結果が詩と童話になって現われた。小川未明は童話をもっとも自分に適した表現形式として選んだ。彼らの場合、童話という形が、もっとも自己表現に適していたのである。彼らの作品は、その資質によって生まれた児童文学といえよう。
 だから、彼らの作品は子どもばかりではなく、おとなにも深い感銘を与える。もちろん、すぐれた児童文学は常におとなにも深い感銘を与えるものだが、ぼくが未明と対蹠的なものとして考える『くまのプ−さん』や『ちびくろ・さんぼ』が、おとなに与える感銘と、未明童話の与える感銘とは、まったく質がちがう。未明、賢治の場合おとなは一般文学を読むように彼らの童話を読み、したがってそこにおとなの小説と同様に人生を読み(しかも子どもより深く)、プ−やちびくろの場合は、人生というよりも、子どもを読むということになろう。
 広介の場合、彼ははっきりと読者を意識している。だが、彼を児童文学に向かわせたものは、その孤独に耐えきれない自己中心性であろう。彼のいわゆるヒューマニズムの扮装のかげには、いわれのない劣等感とその劣等感が消えていく願いの世界が描かれる。この同一のテーマのしつようなくりかえしに、ぼくたちは、書くこと、自分を表現することによって救われ、しかしそれがほんとうの救いではないために、また書くという、成長しない児童文学者の悲劇の姿を見ることができよう。このくりかえしは自分に対する慰めであって、子どもがおもちゃで遊びながら、ひとりぶつぶつ言っている姿に似ているのだ。
 つまり、未明、賢治、広介の三人には、自己表現ということばそのものの意味での自己表現がそなわっている。あるいは自己表出というほうがいいのかもしれぬ。怒りなら怒り、願いなら願いが、そのまま作品内容となっている。ことに未明、広介の場合、その自己表現は一時に燃焼して持続的でない。彼らの自己表現を、かりに第一次自己表現と名づけよう。
 坪田譲治は未明について次のようにいった。「元来、童話というものは詩に近いものであります。(中略)詩作するためには、作者の心が大変高熱で燃えなければなりません。その高熱に作者の心が久しく耐えることは出来ないものと思われます」。だから、未明童話は短編であると譲治はいうのだが、広介についてもほぼ同様のことがいえよう。
 童話が詩であるというこの指摘は、他にも見られる。「日本の作家たちは、童話についてどのような考えをもっているであろうか。手もとにあるものから、二、三ひろってみると、(中略)まことに各人各説で考え方は一様でない。しかし、ただ一つの共通していえることは、その本質が詩精神と象徴性にあるということである」と塚原健二郎は述べている。
 日本の児童文学の源泉であり、主流であった童話が詩に近いものであったということをぼくは不幸だと思う。ふたたび坪田譲治によれば、「『未明』の(赤いろうそくと人魚)『広介』の(椋鳥の夢)のような作品は、どうまねようたってまねのできるものでなく、これを学んで、$B$3$l0J>e$K=P$h$&$?$C$F3X$V$3$H$N$G$-$k$b$N$G$b$J$$!#$3$l$O@8$l$J$,$i$N;m?4$K:i$-=P$?$kH~$7$$0l$D$N2V$N$h$&$J$b$N$G<+A3$NNO$rBT$D30$O$J$$!W!#
 この他人には学ぶことのできない「生れながらの詩心」による童話が、日本の児童文学の概念を作りあげてきた。未明、賢治、広介この人びとの存在を抜きにして日本の児童文学を考えることができようか。そして、童話といえば、ただちに名の浮かぶアンデルセンもやはり生れながらの詩心を持つ人であった。アンデルセン自伝が自分のことしか語らないのは、古くブランデスの指摘するところだが、ここにぼくたちは子どもの自己中心性を発見することができる。彼は不幸は語らず、幸運だけを語る。子どももまた、いやなことは話したがらないものだ。アンデルセン自伝は子どもの自まんとかわりない構造を持っている。
 「生れながらの詩心」というのは、子どもの心性のことである。譲治は彼の未明論のなかで、未明のひととなりを記すのだが、いったん何かを手に入れようとすれば矢も楯もたまらず、その気持をおし通し、あきるともう見むきもしない子どものような未明の姿がありありと描かれている。
 彼らを児童文学へかりたてたものは、彼らのうちにある児童性の直接的な自己表出欲であった。

 3

 児童性ということばは、また原始心性ともいいかえられる。未明童話を読む人は、そこに一貫して流れる原始的なものを感じとるだろう。『金の輪』のテーマはふつう輪廻転生と理解されるが、実際にテーマらしいテーマがこの作品にあるだろうか。この作品に書かれたものは、輪廻転生という意味を持つことばには至らない原始的なふんい気である。子どもの時、ぼくはこの作品を読んで、それまではまったく知らなかった心の深淵をのぞいたような気がしたが、その恐怖感は同時に『牛女』にもつながっていく。『牛女』は自分の子どもを愛す母というより、子どもにしつようにつきまとう悪霊である。西の山に現われ、町角に立つその黒い姿にぼくはおびえた。
 『金の輪』にはテーマはなく、あるのは底知れない深淵であり、『牛女』にはテーマはあるが、そのテーマよりも背後にかくれた暗さのほうが、読者の心を打つ。『赤いろうそくと人魚』にも『牛女』と同様なことがいえるし、『野ばら』にしてもテーマには属さない一種異様なふんい気がたちこめている。
 いわゆるテーマに即したイメージとは無縁の、あるいはテーマとは逆のこのふんい気は恐怖を基調としている。そして、この恐怖はあやうくタクシーにはねとばされるところであったとか、いまやなぐられるという明確な対象による恐怖ではなく、いわば闇を恐れるような理由のない原始的な恐怖である。
 ここで、未明童話の機能を考えれば、いわゆるヒューマニズムとか愛とか正義とかいう表面的な解釈を越えて、未明童話がもっとも強力に作用するのは、読者の心の深層に埋もれた原始心性の喚起である。この原始心性的ふんい気は、ふんい気というよりもっと密度の濃いものである。むかし、神が天沼矛で混沌をかきまわすと、したたり落ちる露はおのころ島となったというが、原始心性的気分は混沌である。
 そして、未明童話の喚起するこの一種の混沌状態は恐怖が基調となっているのだが、そのプラスマイナスの評価はさておき、未明童話が働きかけるのは、人間全体に対してではなく、そのうちの原始的感覚の部分を主とする。そこだけを奥深くえぐり恐怖を基調とする原始的混沌を発生させるのだ。極端な場合、読者の子どもは夜の町の暗がりに牛女を見、夕焼の空のなかに金の輪をまわす少年を見るだろう。その子どもにとって周囲の社会は変貌するのだ。文明は影をひそめ、魔性の者が跳梁しはじめる。世の中は原始時代に逆もどりするのだ。
 この働きは一種の呪術である。呪文にかけられた子どもには、あるがままの世の中が見えない。彼は投げかけられたことばと実体の見分けがつかなくなったのだ。原始人にとって悪霊の名は口にすべきではなかった。こどばは記号ではなく、ものそのものであり、口に出せば悪霊はただちに出現するからである。そういう発達過程の痕跡がまだ残っている子どもの心性に対して、未明は呪文をかけるのだ。子どもは呪縛され、原始の混沌におちこみ、ことばによって作りあげられた牛女に底知れない恐怖の感情を抱く、未明童話は近代人の心によみがえった呪術であり、呪文であった。
 その呪術は同時に自らに対する呪縛でもある。
 広介は願いの世界を書く。原始人にとって願うことは、つまりことばに出すことはそのものを与えられることであった。広介は自分自身を呪文にかけるのだ。
 そして、その呪文はまた子どもの自己満足だ。子どもは自分の願い、自分の経験をしゃべりちらす。しゃべることによって満足する。くりかえせば、これは自己表出というほうが適当なのだ。だから、広介にも未明にも内面にむかっての掘りさげはない。彼らは感動そのものを歌い、歌うことに酔い、その感動の正体の追求は行なおうとはしない。根本的には、彼らは伝達しようとしない。願いとか、美、あこがれが、彼らの作品の基調になっているのは、自分自身を呪縛するためには、それが必要だからなのだ。
 そして、呪術師は常に他人より強烈な資質を必要とする。新興宗教の教祖たちのふるまいを見よ。今日の同人誌のいわゆるメルヘンが自己陶酔にすぎず、自分に呪文をかける自己満足に終るものが多いのは、その作者の資質の弱さによる。日本の児童文学が作者の内面を掘りさげない傾向は、この未明、広介の呪術的自己表現という形に縛られていると共に、児童文学に志す人びとのモチーフが未明、広介的であるということによっている。
 以前、ぼくは日本の児童文学者たちの子どもに対する関心の薄さを言ったことがあるが、自らの資質によってだけ書いている人びとが多いのだから、子どもへの関心が薄いのは当然である。

 4

 ぼくたちは坪田譲治の忠告に従うべきであったろう。「生れながらの詩心」――児童性、原始心性をそう強烈にだれもが持ちあわせているわけではない。資質が弱ければ自己満足になり、資質がなくてその形式を取る場合、その感動なりショックなりは、かえってそらぞらしく浅くなっていく。
 しかも、その上ぼくたちには広介という手本がある。彼は成長しなかったではないか。豊かな結実には至らず、青いままでしなびていく児童性を、ぼくたちは広介に見ることができる。自己中心の児童性は感傷と自己満足、あるいはその裏がえしの修身的抑圧におちいりやすいのだ。
 そして、未熟なまましなびていこうとしている今日の中堅作家がまた眼の前に存在している。資質に頼る創作方法では、資質の強弱が決定的であり、与田準一、佐藤義美がそれなりの世界を見せるのは、まさしくその資質の強烈さによる。つまり、時代はより伝達的なもの、散文を要求するように動いて来て、この動きのなかでは児童文学は詩と散文の、ふたつ相反する方向に身を裂かれる。ここでひき裂かれる者は弱いのであり、与田、佐藤は頑として散文を拒否しているのだ。そして、身を引き裂かれている悲劇の代表者は関英雄であり、しかし彼が児童文学へのモチーフをまだ忘れないのに対して、すでに当初のモチーフを失って、修得した技術で職人となった連中もいるわけだ。
 ここで結論風にいえば、未明、広介的な第一次自己表現とは、そろそろおさらばするほうがいい。自らを他人に伝達することによって、自分も成長していくというような児童文学が必要だ。そのためには、未明、広介とはちがう児童文学のABCを考えなければならない。(未発表「児童文学の本質」の一部・『児童文学評論』1959年3月号)
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