私論・現代日本の幼年童話
1
編集部からの注文は「日本幼年童話論」でしたが、こちらでかってに「現代日本の幼年童話」に変更させてもらいました。「日本幼年童話論」では扱わなければならない対象がひろがりすぎて、ぼくの手にはおえないからです。したがって、鈴木三重吉・千葉省三、また日本幼年童話中の大物である浜田広介も、この小論の中には出てきません。
それにつづいて、もう一つおことわりしておきたいことは、「現代日本」といいながら、ぼくが最近の作品をそれほど多くは読んでいないことです。読んでいないもののほうが多いぐらいです。それでいて「現代日本の幼年童話」を論じようというのは厚顔無恥のしわざかもしれません。でも、一冊読んでも本の感想はあるもので、ぼくは七〇年までのものはある程度までは読んできています。それと、その後かぎられた数ですが読んだものを通して、ぼくなりの幼年童話についての考えがかたちづくられようとしています。その考え、感想をぼくはここにしるしていきます。題名通り、この一文は現代日本の幼年童話についてのぼくの「私論」です。
次に「幼年童話」ということばのことですが、ぼくはこのことばよりも「幼児・幼年の文学」ということばのほうを使ってきました。その理由は十数年前ぼくが近代童話批判≠ニいうのを書いたからです。当時のぼくの評論の出発になったのはいわゆる「少年文学宣言」ですが、この宣言の中には童話から小説へ≠ニいう表現があります。その「少年文学宣言」及びぼくの『現代童話文学論』中の評論では、「童話」は日本児童文学のある時代(大正中期から昭和二十六・七年に至る時代)の中心となっていた散文作品のことでした。
このように「童話」ということばを使った者にとっては、「幼年童話」ということばはすっきりした気持ではなかなか使えません。「童話」ということばには、時代をこえての文学表現形態という面と、微弱かもしれませんが一時代に限定されている面とがあるのです。だからぼくは、「幼児・幼年の文学」ということばを使うほうが多かったのですが、文学というとまた範囲がひろすぎて、童謡までふくんでしまいます。そこでこの文中では「幼年童話」という呼称にしたがうことにしました。
ところで、「幼年童話」を論じるとき、こまってしまうのは、人によってその概念がまちまちなことです。こころみに白木茂・滑川道夫他偏『児童文学辞典』(東京堂出版)を見ると、「就学前の幼児から小学一・二年の読者を対象とした童話の総称。就学前幼児のための読み聞かせ童話を『幼児童話』として区別する例もある(以下略)」と、関英雄が書いています。
ぼくもほぼこの説なのですが、では作品の実例として新美南吉の『ごんぎつね』は幼年童話なのでしょうか、それとも「幼年」のつかない、ただの童話なのでしょうか。
小学校国語教科書では『ごんぎつね』はだいたい四年生のところに出ているようです。もっとも年齢区分による読者対象などというのはあまりあてになりません。そこでぼく自身の直観的判断でいくと、『ごんぎつね』は幼年童話ではない、という答えが出ます。
ところが、小西正保は「新美南吉の『ごんぎつね』もまた、幼年童話の傑作といってよいものだ」(『日本児童文学』七〇年一一月・「幼年童話私論」)といっています。さらに小西さんはおなじ文章の中で、斎藤隆介の「花咲き山」「八郎」「三コ」「モチモチの木」「半日村」などを幼年童話としています。
この斎藤隆介の作品群のうち「モチモチの木」はぼくにもいくらか幼年童話に近い感じがしますが、ほかはちがいます。大まかなところ、民話風創作はぼくにとっては幼年童話ではなさそうです。では、松野正子「ふしぎなたけのこ」(絵本『ふしぎなたけのこ』ではなく、絵をはなして独立したものとして)はどうなるのでしょうか。今江祥智「ぽけっとの海」はどうなるのでしょうか。
このあたりになると、すぐには答えは出てきません。「ぽけっとの海」を民話風創作に入れてよいものかどうなのか、まずそのことからして疑問です。もっともある意味では、そんなことはどうでもよい、昼がいつのまにか夕暮れになって夜になるように、境いめのはっきりしないことのほうがこの世の中には多いので、むりにどこからどこまでが民話風創作だとか、幼年童話だとか、ときめる必要もなさそうです。
ただ以上のように概念まちまちのものを論じていく際こまるのは、考える対象となるものの範囲がはっきりしないこと、第二には誤解をまねきやすいということです。そこで、くりかえしになりますが、ぼくの幼年童話概念は前記関英雄説にほぼ近い、つまり小学校一・二年までの作品のことだ、ということをもう一度いっておきます。
ただし、概念がそうだからということは、この感想の中でそれ以外の年齢層のものにふれないということではありません。幼年童話に近いもの、ブックリストなどでは小学校中級対象として出てくるものは、幼年童話を考えていく際にはふれざるを得ないので、出てくることになります。例をあげると、大石真『チョコレート戦争』についてぼくは書く予定でいますが、それは『チョコレート戦争』をぼくが幼年童話と考えているからではなく現代日本の幼年童話を考えていくには、この作品にふれなければならない、とぼくが思っているからです。
年齢の上限のほうはいいましたが、下限のほうはいっていません。では、何歳からかといいますと、そこのところ、じつははっきりしません。ただ現在までに生まれている幼年童話でいえば、中川李枝子『いやいやえん』をおもしろがる年の子どもたちから、ということだろうと思っています。
そこでまた、「ぽけっとの海」ですが、ぼくはさっき、この作品が幼年童話かどうかということについて、「すぐには答えは出てきません」と書きました。ところが、この作品のはいっている新編『ぽけっとにいっぱい』(この本には旧版と愛蔵版と二つあり、内容はすこしちがっています)のあとがきで今江祥智はこういっています。
「数年前のある日、古田足日さんに会ったとき、
―『ぽけっとにいっぱい』を編集しなおして、きみの幼年童話集にするといいのに……。と、言われたことがありました。」
旧版『ぽけっとにいっぱい』のうち、幼年にはわかりにくいものをはぶき、ほかのものを入れたら、とぼくはいったのでして、「ぽけっとの海」はあとから入れたものでした。つまり、ぼくは「ぽけっとの海」を幼年にちゃんとわかるものと考えたわけでした。そして、その考えはいまもかわりません。
ところが、この作品が幼年童話かどうかと問われるとすぐには答えが出ない。となると、ぼくは矛盾していることになります。ただ見方をかえるなら、ぼくのなかには広狭二つの幼年童話概念がある、ということにもなるでしょう。関英雄説にぼくが「ほぼ賛成」といったその「ほぼ」がここで出てくるわけで、一定の年齢の読者を対象とする作品の「総称」としての幼年童話の場合には、「ぽけっとの海」は当然そこにはいります。しかしせまい概念――幼年童話の中心部分ということになると「ぽけっとの海」は中心にあるのではなく、境いめのほうにある、とぼくは感じているのです。もっとも中心部分≠ニいっても、もちろんぼくにとっての中心部分にしかすぎません。
では、ぼくにとってのせまい意味での幼年童話はどんなもので、またそれは広い意味の幼年童話とはどんなもので、またそれは広い意味の幼年童話とはどういう関係になっているのでしょうか。なおまた広狭両方をひっくるめて、現代日本の幼年童話はどのように発展してきたのでしょうか。
2
まだ前おきが続くようですみませんが、「現代日本の幼年童話」というその「現代」はどこからか、ということです。この「現代」はいまでは一般に一九五九年、『だれも知らない小さな国』『木かげの家の小人たち』が出た年から考えられています。すくなくともぼくはそう考えています。
しかし、時代区分は一応そうであっても、実際の動きは色わけ年表のように分けられるものではありません。「現代」以前に「現代」は芽生えています。いぬいとみこの『ながいながいペンギンの話』は「現代」の先駆的作品でした。現代日本の幼年童話のはじまりはこの『ながいながいペンギンの話』です。単行本発行年でいえば五七年のことです。
そのいぬいとみこが六〇年に出た石井桃子たちとの共著『子どもと文学』の中の「小川未明」論の中で、未明の幼年童話「なんでもはいります」を批判したことについて、ぼくはもう何度もしゃべり、書きました。
そのことをまたくりかえさせてもらいますと、「正ちゃん」という「かわいらしい子ども」のポケットにはキャラメル、ビスケット、木の葉にドングリ、なんでもはいって、またなくなっていきます。ある日のこと、「正ちゃん」は大きなミカンをもらったので、これははいらないだろうと思っていると、正ちゃんはミカンをむいてもらって房にしてポケットに入れた。「このかわいらしいポケットに、なんでもはいらないものはありません」というこの童話について、いぬいとみこはいいました。
「子どもはじぶんたちを『かわいらしい』と思っているでしょうか。それはおとなの感情ではないでしょうか。もし、この同じテーマをつかって、子どものお話を書くとしたら、主人公の子どもが、ポケットになんでもはいります。という『発見』をしたところから、何か事件がはじまるべきなのです。」
この「なんでもはいります」批判があって十一年後、七一年度の講談社新人賞に『ポケットの中の赤ちゃん』(宇野和子)という物語が入選しました。この物語は題名通り、母親のエプロンのポケットから赤ちゃんが出てきて、いろいろいたずらをする物語です。かつていぬいとみこが声高にいわなければならなかったことが、懸賞募集の作品の中でごく自然に出てきたのでした。
ぼくはこのことに現代日本の幼年童話の、ここ十年あまりのあいだの変化が象徴的にあらわれているように思います。いぬいとみこが声高くいわなければならなかったことが、ほぼ一般化したのです。
「一般化した」というのは、『ポケットの中の赤ちゃん』が、その解説の中では書きそこねましたが、ぼくにとっては団地の奥さんたちの話の印象と非常によく似ているからです。奥さんたちの話の中に出てくる軽いユーモア・子どもの観察・そうしたものがこの作品には出ています。この作品は平均的作品――今日の日本の中産階層の平均的意識・感覚の上に成り立っている作品だと思います。もしもこの作品にきらめく文学性+深い思想性を求めるなら、それは失望におわるでしょう。そこまでふくめて、いぬいとみこのいったことは一般化しました。
いぬいさんのいったことは二つでした。一つは「子どもはじぶんたちをかわいらしいと思っているでしょうか」ということに出ている、おとなの立場で書いてはだめだということ、もう一つは子どもの到達したところが物語のおわりではなく、物語はそこからはじまるものだ、ということでした。
そして、それは実現しました。といっても、いぬいさん本人にたずねてみればきっと、『ポケットの中の赤ちゃん』がそうだとはとても思えない、というにちがいありません。さっきいったように、この作品はもう一つ、掘り下げが足りないからです。中産階層的ふんい気の肯定の上に成り立っているからです。
いぬいさんのめざしたものと、それが実現したかに見えながらじつはちがっている、これが現代日本の幼年童話の姿なのではないでしょうか。そして、『ポケットの中の赤ちゃん』を引合いに出したのは、すぐれた作品ばかりを追う文学史の方法にぼくが疑問を感じているからです。
いぬいさんがめざしたものと、実現したものとのくいちがい、そのわく組の中にこの十数年間の日本の幼年童話の歴史がありますが、この歴史の中で落としてはならないことは、一九六七、八年に日本の児童文学・幼年童話は新しい時期にふみこんだ、ということです。それ以前、六二、三年のところでも日本の児童文学全体は一つの曲りかどを曲りましたが、この曲りかどでは幼年童話はまだまだ大きな役割をはたすまでになっていません。
しかし、六七、八年の曲りかど――現代日本児童文学史の第三期の展開は、幼年童話をはずして考えることはできません。いま現代日本児童文学史を三つの時期に区分しましたが、そのそれぞれの時期の特長を簡単にいいますと、第一期五九年から六二、三年まではさまざまな可能性≠フ時期で、第二期六三年から六七、八年までは混迷と模索≠フ時期、第三期六八年から現在までは商品の時代≠ナす。そして、去年からことしにかけて第四期にはいろうとしているようですが、この第三期商品の時代≠ニ幼年童話とは密接な関係を持っています。
六七年の転換はポプラ社の「むかしむかし絵本」シリーズの成功と、斎藤隆介の出現、斎藤文・滝平二郎絵の絵本『八郎』によっておこりました(「月刊絵本」七三年五月号参照)。民話絵本と民話風創作の絵本が市場価値を獲得したのです。そして、この両方とも読者対象は幼年層でした。
つづいて、翌年六八年二月、ポプラ社とあかね書房の両者が低・中学年むきの創作シリーズを刊行しはじめました。この両シリーズの刊行の時期から、日本の児童文学ははっきりと商品の時代にふみこみました。児童書はもともと幼児・低学年のものがよく売れます。親が子どもに本を買ってやるのはだいたい幼児・低学年の時期です。そして、幼児には絵本という定式がほぼできあがっています。それにいまさら名作再話でもありません。この時期は福音館書店の絵本が一定の読者を獲得し、ゆるやかに進んできた読書運動がいま一段の飛躍をとげようとする時期でした。そして、外国児童文学ではプロイスラーの『小さい魔女』に代表される、古典的名作とはちがった感覚の、単純な意味でおもしろい低・中学年ものが売れています。現代児童文学がはじまった五九年ごろにくらべると、おとなが子どもの本について持つ関心も、子どもが子どもの本について持つ関心もぐっと高まっていました。
こういう条件の中で低・中学年創作は、ほぼ安定している市場の新種商品となりました。もっとも、ポプラ・あかね両社の低学年創作シリーズの刊行をただ新種商品の発売と見てしまうことはできないでしょう。その刊行は、よりよいものを望む編集者と書き手と読書運動の関係者たちの声と、出版社の利潤追求との総和として成り立ったはずです。そして、そこでは今日、功罪を問われている全国学校図書館協議会と毎日新聞社主催の青少年読書感想文全国コンクールの課題図書の存在が、ものをいったはずです。
このあたりの事情は「はずです」というような推測ではなく、事実を確認しなければならないと思いますが、事実の確認以後の問題がより重要です。ポプラ社の「むかしむかし絵本」シリーズも、よりよい本と、利潤追求と、両方の計算の上に成り立ったはずです。だが、この絵本シリーズの画家、文章筆者の多くの人が噴出するようなエネルギーを見せたのに対して、低・中学年創作シリーズのほうはそこまでに至っていません。すくなくともぼくはにはそのように見えます。どうしてこのちがいが出てきたのでしょうか。これは事実確認以後の問題です。
このちがいの出てきた原因は、民話再話にはそれ以前からのつみ重ねがあり、低・中学年創作のところは、もっともつみ重ねの薄いところだった、ということだと思います。一編の作品を書くことは個人のしごとですが、時代と社会と伝統によってその作品のありようが規定される部分があります。言語がそうであるように、個人をこえた文化の堆積の上に個性の花はひらくものです。
だから、低・中学年創作シリーズの刊行は一種の冒険という側面も持っていました。五九年以来の現代日本の児童文学は高学年創作を中心にして発展してきました。もちろん『ながいながいペンギンの話』のほか、神沢利子『ちびっくカムのぼうけん』、中川李枝子『いやいやえん』、寺村輝夫『ぼくは王さま』、小沢正『目をさませトラゴロウ』、松谷みよ子『ちいさいモモちゃん』など、幼児・幼年のすぐれた作品・問題作がポプラ・あかねの両シリーズ以前に生れてはいますが、これをもう一度見なおすと、『いやいやえん』『トラゴロウ』『モモちゃん』はどちらかといえば幼児の文学で、低学年対象のものとは、もう一つちがうところがあります。
五九年以後、日本の創作児童文学の秀作・問題作は高学年、中学生に多く集中していて、それから幼児・幼年となり、小学校中学年は一ばん少ないところです。ところがポプラ・あかねの両シリーズは幼年と中学年とを読者対象としています。この創作シリーズの刊行が一種の冒険という側面も持っていた、というのは、いまいったように作品のつみ重ねがないところでの刊行だったからです。
だから、ぼくは当時、このシリーズからおこったいわゆる児童文学のブーム≠ヘ長続きしないだろうと思いました。しかし、市場は意外に広く深く、ぼくの予想ははずれてしまいましたが、かわりに商品の時代が出現しました。ただこの予想の理由をもうすこしこまかくいうと、今江祥智の『風にふかれて』『ちょうちょむすび』や、神沢さんの『ちびっこカム』など、作者の資質、おいたちによるところが多く、創作の方法として一般化することができません。しごとのつみ重ねが少ない上に、こうした作品をのぞいていくと、のこるつみ重ねはいっそうかぎられたものになってしまいます。
ごく少数の人びとをのぞき、商品の時代の低・中学年創作はほとんど何もないところから出発したようなものでした。そして、低・中学年創作は何よりもまずおもしろくなければなりません。おもしろくなければこの時期の子どもはえんりょなく本をほうり出すし、親もまたまずは本を読み通すことを願っています。読書運動が盛んになる理由の一つは、学校教育だけでは本が読めるようにならないということでした。
商品の時代にはいって以後の低・中学年創作の多くはこうしてつみ重ねのないところで、第一におもしろさをねらいました。児童文学の現状を低学年は技術主義、高学年は素材主義と批判することばがありますが、この技術主義をぼくは個々の書き手の責任とだけしてしまうことには賛成できません。作者自身にとっては誠実な、主観的には誠実な作品が技術主義(じつはこのことばにも疑いがありますが)に落ちこんでいるので、これは個をこえたところの問題でもあります。
そうして、こういう作品の先駆的なものとして、大石真の『チョコレート戦争』が位置づけられるのではないかとぼくは考えています。
3
技術主義ということばはむしろ『エルマーのぼうけん』や、松岡享子『くしゃみくしゃみ天のめぐみ』などに適当なもので、現在の日本の幼年童話の多くの特長としてはじつはちがうのではないか、と思うことがよくあります。例をあげると、宮川ひろの『るすばん先生』『木のぼり公園』など、むしろ素材によって子どもの心をつかんでいるのではないでしょうか。いや、素材というのもまちがいで、作者によって解釈された材料で、それがいまの子どもの心――というより欲求、関心とふれあっています。『木のぼり公園』では校舎の屋上に大きな落書をする、木にのぼってもよい公園ができるなどのことが語られるのです。
今日多い、子どもの日常的現実を書いた低・中学年対象の作品の大部分は、そのおもしろさの基礎を子どもの欲求・関心に置いているようです。最近の例でいえば、長崎源之助の『東京からきた女の子』では子どもどうしの結婚式から新婚旅行まで語られますが、これも今日の子どもの欲求・関心の一つです。
商品の時代以前……六五年発行の『チョコレート戦争』は、こうした子どもの欲求、関心に基礎を置く作品のはしりでした。金泉堂のショーウインドにかざられたチョコレートの城、これはこれだけで子ども心をそそるものですが、さらにこのチョコレートの城をぬすみ出す、という冒険? まで語られます。そして、いつの時代の子どもにとっても永遠の課題といえるおとなの誤解と、それに対してユーモラスに立ちむかう子どもたちとが出てきます。
子どもの欲求・関心からの出発がこの物語の第一の特長ですが、第二の特長は子どもとおとな、どちらが勝つかその話の展開のおもしろさです。そして、第三の特長としてはその欲求、関心も、またおもしろさもけっして深くはないことです。
この第三の特長を論じて『チョコレート戦争』を否定することはやさしいことです。だが、その否定が子どもの欲求・関心からの出発さえも否定することになったらそれはちがうとぼくは思います。
ところで幼年童話ではない『チョコレート戦争』をここに持ち出してきた理由ですが、その理由は二つあります。一つはさきにいったように子どもの欲求と関心、またそれを語る方法が、子どもの日常的現実を書いた幼年童話では、『チョコレート戦争』風になっているということです。『チョコレート戦争』をまねしたということではありません。自然に『チョコレート戦争』風になってしまう、つまり発想のパターンが共通している、そのことを考えてみたいからです。
もう一つは、幼年童話の発展・変化を幼年童話独自の領域で考えるだけではなく、児童文学全体の動きの中で考えてみたいからです。このことについていうと、『チョコレート戦争』が出た六五年は混迷と模索の時期≠ナした。その混迷をもっともよく象徴しているのは『目をさませトラゴロウ』ですが、一方模索する作品の中に子どもから出発しようとするものが、すくなくとも三点ありました。六五年『チョコレート戦争』、六六年、ぼくの作品で恐縮ですが『宿題ひきうけ株式会社』、六七年後藤竜二『天使で大地はいっぱいだ』です。
これらの作品にはそれぞれ足りないところがあり、だからこそ模索なのですが、子どものがわからの出発ということは、幼年童話と無関係ではありません。子どものがわ、子どもの欲求・関心からの出発という場合、子どもの発達段階を考えなければならなくなります。発達段階によって欲求も関心もちがってきます。幼年童話という呼称は発達段階に裏づけされている呼称なのでした。
ぼくはさきに民話風創作はだいたい幼年童話ではないといいました。その理由はやはり発達段階によっています。民話風創作のおもしろさは発達段階とはあまり関係がありません。読めるようになる時期、おもしろがる時期というのはありますが、この開始期以後の変化はあまりありません。民話風創作はおとなにも子どもにも共通の文学であることが多いのです。
『いやいやえん』となるとちがいます。つみ木で船をつくり、そのまま海に出てしまう「くじらとり」、これは『子どもと文学』のいう「想像の世界と現実との境い目を、毎日、なんのむりもなく、出たりはいったり」する時期の子どもたちにぴったりしたものです。だから、いまでもおとなの中にはこの作品がわからない人がいます。幼年童話でなく絵本ですが、ラチョフの『てぶくろ』も同様です。
ぼくの中にあるせまい意味の幼年童話は、発達段階に即した物語の進めかたと内容とを持っているものです。この考えを上の年齢にむかって進めると、小学校中級には中級の子の発達段階による児童文学が生れなければなりません。ただし実際の読者は幼児・幼年・中級というように細分化されるものではなく、自分の発達段階のところを中心に上にも下にもむかって読むものです。ぼくのいうのは書き手がどこにねらいを定めるか、ということです。
ただこれにも注をつけておかなければならないのは、児童文学の書き手はいつも発達段階を考えなければならない、などとはぼくは思っていないことです。前にいった今江祥智の『風にふかれて』、三木卓の諸作や、山下明生の『うみのしろうま』など、ある発達段階に目をこらしたものではないと思います。これらはみごとな童話であって、おとなと子どもに共通の財産、どちらかといえば子どもの持分が多いけど、というものです。
しかし、こうした作品は誰にでも書けるというものではなく、資質によるところが多いと思います。ぼくは一般には幼年童話は幼年童話に徹すること、その読者対象である子どもたちの発達段階に深く根をおろすことによってしか、すぐれた作品を生み出すことはできないと思っています。そのためには子どもそのものの研究が必要ですが、それは意外なほどに行なわれていません。時代も社会もちがうので適切な例とはいえませんが、チェコフスキーの『二歳から五歳まで』のような子ども研究の本はわが国にはないようです。
ここで『チョコレート戦争』に帰ると、この作品に出てきた子どもの欲求・関心を今後はもっと深いところでとらえなければならないと思います。また、子どもの日常的現実を書いたものが、話の進め方も『チョコレート戦争』風になってしまう、そのことを考えなければならないと思います。そして、この二つのことは商品の時代≠ニ、その商品の時代≠支えている中産階層の意識・感覚と深くからまりあっている、と思います。
いままで述べてきたことの中に、幼年の子どもが読む、また読んでもらう文学がいくつかにわかれることもいいました。それを整理しておくと、まず民話風創作があり、これをぼくは幼年童話とは考えていませんが、幼年童話との境い目ははっきりしないものです。それから『風にふかれて』に代表される童話があり、また発達段階に即した作品があります。
幼年童話の中心としてぼくが考えているのは、この発達段階に即した作品ですが、そのうち日常的現実を書いたものについては、幼年童話ではないけれども『チョコレート戦争』に代表してもらってぼくの考えを述べました。
では、やはり発達段階に即したもので空想的なもの、これはどのように考えたらよいでしょうか。それは寺村輝夫の『ぼくは王さま』と、『子どもと文学』が示した公式、物語にはじまりがあって、展開部分があってそこではくりかえしが行なわれ、満足するおわりがくる、ということに代表されるでしょう。そして、この領域でも内容が空洞化して、物語の進め方だけがいまいった公式に要約されるように平板化している作品が、現在もまだ多いのではないでしょうか。
その平板さをひきおこしている原因は、日常的現実の領域と同様に、子どもについての研究の不足、創作の方法研究の不足(作品のつみ重ねの薄さとかかわって)、それから思想の浅さ、この三つが商品の時代≠フ中でそのままにされていることではないか、と思います。
4
この感想のいままでのところ、ぼくはおもに、幼年童話のひろがりというか、幼年と小学校中学年を読者対象とした作品の一般的傾向とでもいうものについて書きました。
こうした幼年むき創作の裾野のほかに、現代日本の児童文学史叙述の際、多くの人が名をあげる作品があります。そのうちのいくつかについて述べておきたい、と思います。
さきにいったように、ぼくは幼年童話の中心になるものを、発達段階に即した物語の進め方と内容を持っているものと考えています。そして、その内容≠ヘ二つにわけることができます。これもまた境い目ははっきりしませんが、一つは作品中の主人公が読者とほぼおなじ発達段階にある子どもそのものを書いたものです。ただし人間の子どもではなく、動物その他になって出てくる場合もふくんでのことです。もう一つは子どもでなく、人間・人生・社会を書いたものです。
この人間・人生・社会を書いたものと、『風にふかれて』などがどういう関係になっているかということ、おなじものなのか、それともちがうのか、ということがありますが、それはそのまま疑問として残しておきます。
読者とおなじ発達段階の子どもを主人公としたもの、その代表は『いやいやえん』でしょう。この『いやいやえん』では主人公しげるはずっと「ばらぐみ」ですが、一方『ちいさなモモちゃん』はモモちゃんの誕生から「あかちゃんのうち」を卒業し、保育園の「ひよこぐみ」になるところまで書いています。物語の中でモモちゃんは成長し、しげるはある発達段階のところにいる、ということになります。
このモモちゃんの成長≠ヘ、ときどき小説の中で「主人公の成長」ということがいわれる、その成長≠ニはちがいます。小説でいわれる成長≠ヘ人間としての成長で、モモちゃんの成長は人間として≠フ面と共に生物学的な成長といいますか、あかちゃんがちいさい子になっていく、その成長の面とをそなえています。
『いやいやえん』のしげるはある発達段階の場面から動きません。このある発達段階の場面に対応した作品、これが子どもを書いた幼年童話には多いと思います。では、『ちいさいモモちゃん』は特殊なのかといいますとそうではありません。一編一編が独立していて、その一編で見るかぎり、『モモちゃん』もやはり発達段階に対応しています。
ただ『モモちゃん』の場合、その読者とモモちゃんの発達段階はおなじではありません。読者にとって『モモちゃん』はまだ自分の体になまなましく残っているあかちゃん時代の生活の物語です。過ぎ去った時代の物語ではありますが、それはついきのう過ぎ去ったばかりのものなのです。
ところで、子どもの成長・発達というものは一直線に伸びていくものではありません。もしもグラフに書けばこの線はゆるやかに伸びていって、あるところで急に上昇し、またゆるやかに伸びていって、また上昇する。こういうジグザグのかたちになってあらわれるはずのものです。
『いやいやえん』はこのゆるやかに伸びていく場面で子どもをとらえた作品です。前にもいいましたが、幼年童話のうち子どもそのものを書く作品はたいていここに属しています。急に上昇する場面、これは実際の生活ではある日、目からウロコが落ちて、まわりのものがいままでとちがった見え方がしてくる、この経験のことですが、それを書いた作品は『くまの子ウーフ』の中の「ウーフはおしっこでできてるか」です。
『いやいやえん』も『ちいさいモモちゃん』も子どもの生活の物語です。「ウーフはおしっこでできてるか」はそれとはちがって、子どもの認識過程の物語です。たまごを割ったらいつもきみとしろみが出てくる、ウーフはこれに感心しますが、この感動はたまごからはきみとしろみが出てくるという自然の法則発見の感動と重なりあっています。
そして、外に出てくるものによってうちがわのものはつくられているという、もう一つの法則の発見がそれに続きます。子どもがそれまでに得た知識を総動員して自然の法則を発見しようとする姿と、その発見のうれしさがあり、そして自分の発見した法則がツネタに逆用されて、その結果、ウーフは「ウーフはウーフでできてる」ことを発見します。ここがさきにいった急な上昇です。この物語はゆるやかな成長ではなく、成長の節(ふし)をとらえた物語です。
ぼくはこういう作品をもっともっとほしいと思っています。その気持がぼくに『ロボット・カミイ』を書かせた原因の一つでもあります。「ウーフはおしっこでできてるか」は家族とともだちツタネのあいだでおこるウーフの成長です。『いやいやえん』のしげるは保育園に行っていますが、ちゅーりっぷ保育園は自由な教育方針を取っている保育園です。ぼくは集団を意識した幼児教育の場で、自己中心的な幼児がどう成長していくか、それを『カミイ』で書きたいと思いました。そしてそれはそれなりに成功していると思うので、今江・上野瞭・中川正文三氏による「わたしたちがすすめる本1972」に『カミイ』が小学校中級のところにはいっているのがふしぎでなりません。
また『大きい一年生と小さな二年生』も現実の場での子どもの成長を追ってみたいと思って書いたものでした。そして、これもふしぎなことには子どもと母親、読書運動の関係者からは反応が多いのに、いわゆる児童文学者からの声はほとんどはいってきません。
さて、ここまで書いてきてぼくは後悔しています。ぼくは『モモちゃん』の文体(この文体をぼくは柳田国男のいう世間話の文体だと思っています)と思想のことや神沢さんの『はらぺこおなべ』や、筒井敬介の『べえくん』や、渡辺茂男の『もりのへなそうる』や、征矢清の『かおるとあかちゃんのいえ』のことなども書くつもりでいました。ところが、その「私論」を書く以前、入り口でおわってしまいました。『大きい一年生と小さな二年生』が論評されないことをふしぎに思っているぼくの次元に、他の人びとをひきおろすのは失礼かもしれませんが、自分の思いからいうならこの感想は作品感想からはじめるべきものだったようです。ただ概念規定からはじめなければならかったこと自体、幼年童話論がまだまだ足りないことをしめしているものなのでしょう。
(『児童文学・1973』聖母学院児童文化研究室)
テキストファイル化天川佳代子