『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)
2 ファンタジーの構想力
子どものころ、正月や祭日になると、村にサーカスがやってきた。そのとき見た空中ぶらんこや曲芸は、幼ない心に「どうしてあんなすごいことができるんだろう」と目をみはらせた。大きくなって都会へ移りすんでからは、兄につれられて演奏会をききにいくようになった。ピアノやギターから流れてくる調べにうっとりしながら、「どうしてこんな美しい音がだせるんだろう」と不思議でしかたなかった。
もっと大きくなり、異性の中に青春をみるようになってはじめて、演奏者のむこうに作曲家がいることを知った。美術に魅せられ、文学を読むにつれて、無から有を生じさせる芸術の創造力のすばらしさに胸を打たれた。
その想いは今も同じで、『ライ麦畑でつかまえて』や『たんぽぽのお酒』や『たのしい川べ』や『ふくろう模様の皿』や『指輪物語』や『鹿踊りの始まり』などをくり返して読むたびに、「こんな作品を書ける人って、一体どんな人だろう」とほーっとため息がもれる。
だが、「どうしたら、そんなすばらしい話が書けるのだろうか」とひらきなおって考えてみても、明確な答は期待できそうもない。それは芸術創造の本質が、ぼくが小さいころみた空中ぶらんこ乗りや名曲演奏家のように、テクニック(技術)の問題に多くウェイトをしめていないからだろう。それは思想、生き方にかかわる問題であり、その人間がそれまで生きてきたもろもろの体験のつみ重ね、≪生≫の総決算をジャンピング・ボードにしているからにちがいない。
『児童文学論』(注1)で著名なL・Hスミスは、文学的な質を大きく決定する要素として、作者の考えの質、かれの築く構成の確実さ、かれのことばの表現力―――の三つをあげている。逆にいえば、この三要素が作者の頭の中で融合しあって、はじめて作品という形に生みだされるわけであるが、この融合させようとする作業が、≪構想力≫にほかならないと思う。
もう少しかみくだいて考えるなら、フィクションの構想力というものは、まず作者の考え(テーマ)が頭の中で育ち、ふくらみ、一つのストーリーとして少しずつ形になってみえてくる。その全体的な形の概観が構成となり、その構成にそって作者の考えを具体的に伝達するのがことばである。
外山滋比古の読書論(注2)をもちだすまでもなく、こうして生みだされた作品というものは、読者の存在があってはじめて成立するものである。つまり、作品がことばを媒介にして、作者と読者を結びつけるものであるからには、レトリック(修辞学、ことばの表現)がいかに大切かは改めていうまでもないだろう。だが、ここで注意しなければならないのは、レトリックというものは、作者の考えの質を土台にしているものであり、その考えをいかにしてより有効に伝達するかという伝達方法であるという認識であろう。
ましてや、登場人物の性格づけや、ストーリーの展開のさせ方、結末へのもっていき方、リズムのある生きた文体、(さらにトーキンが「他の世界を創り、あるいはかいまみること」と規定したファンタジーの場合は、もう一つの世界を独自の法則性に基づいて完璧なまでに描出させる<技巧>(注3)が加わるが……)、とこういうぐあいにならべあげても、それは作品創造の本質的な原動力や発火点ではない。
レトリックや構成力が第二義的な問題というのでは決してなく、作品を生み出す中央司令部ともいうべき発想=構想の核心は、作者の生きてきた体験のつみ重ねから生まれた≪思想、考えの質≫というほかはないだろう。
ぼくが、神がかりとさえ思っていた創造者の仲間に大胆にも加わろうと志してから、アルキメデスかピタゴラスの定理のような作品創造の公式があれば、何を犠牲にしても手に入れたいものだと思いつづけてきたことは半分ほんとうだった。それはぼくの才能・資質の問題に全責任があるのはいうまでもないが、むしろ、作品を創り上げることのみに心をうばわれ、ぼくの"生きていくこと"、いろんな人たちと交わり、愛し、憎しみあい、新しい冒険をし、わけても遊び、よく楽しむという≪生≫の広がりと自由さをもちつづけることを自己規制してしまったことに酷しい責任があるのだろう。創作行為の出発点がテクニックの問題と無縁であるかぎり、ぼくが夢みたようなおあつらえむきの公式などあるはずはない。
ぼくの貧弱な創作行為をふりかえってみても、筋道立てた"構想"への案内図はなにもなかった。強いていえば、最初に一枚の絵(風景・イメージ)があったといえるにすぎない。その絵に執拗にくい下っているうちに、万が一うまくいくと、絵がうごきだし、いく枚にもふえ、登場人物の顔がクローズアップされてくる。考えてみれば、たぶんに非論理的衝動的な行為といえるだろう。
絵の中の人物や風景がうごくにつれて、負けない速さで筆をうごかさなければならないが、ぼくの場合、イメージ(映像)を文字で写しとるという困難な作業をいかにうまく仕上げるか、つまり演奏者になりきるか、ということに固執するあまり、もっと以前の問題として、ぼくだけの一枚の絵が何であるのかという本質的な問題を回避してきたことは否めない。最初の一枚の絵こそが演奏者(技術者)と作曲家(創造者)をわける出発点であろう。
心象風景という言葉を好んで使ったのは宮沢賢治であるが、一枚の絵がどんなに重大であるかを、『ナルニア国物語』のC・Sルイスは次のようにいっている。
私にとって、本のできあがる過程は、話すとか、物を築くとかいうより、野鳥観察に似ていました。私に、いくつかの絵がみえてきます。そのうちの何枚かは共通の味わい―――というより共通のにおいがしていて、それが寄りあって、いくつかの組をつくります。しずかに見ていて下さい。これらの組は、自分たちでつながってきます。もし運がいいと(私は、そう運よくゆきませんでしたが)それら全体がたいへん緊密に結びついて、こちらで何をしなくても、一つのお話が完成します。しかし、たいていの場合、組と組とのあいだにすきまができます。すると、そこで、とうとう私は何か考えだして、なぜこういう
人たちが、こういう場所で、こういういろいろなことをしているのかということについて、理由をつけなければならなくなります。
(「子どもの本の書き方、三つ」石井桃子訳『図書』一九七〇年八月号)(注4)
C・Sルイスの場合、一枚の絵は「偉大なライオンのアスラン」であり、「傘と包みをかかえて雪の道を歩いているフォーン」(注5)の姿であった。そしてイメージがやがて事件をよび起こし、全七巻の物語に発展した。七巻目の『さいごの戦い』でカーネギー賞を与えられたルイスは、なぜこのような壮大なファンタジーを書くにいたったのだろうか。偉大な神、アスランのイメージは、ルイスが生きつづけ、考えつづけた思想の象徴であり、現実(日常世界)とはちがうもう一つの国ナルニアに≪罪≫がどのようにしてもたらされ、それをアスランによってどのように償わせたかという宗教的主題と切りはなせないものであった。
ルイスは、具体的な子ども読者を意識して書いたのではないが、善悪の対立、人類の存続と滅亡の中で、たくましく成長しつづけ、やがて大人になる子どもを含みこんでいたことには重大な意味がある。既に触れたが、『ホビットの冒険』『指輪物語』の作者で知られるトーキンは、ファンタジーの魅力はもう一つの国(妖精の国)の<魔法>が、「人間のもつ根源的願望のいくつかを満足させる働きがある」といい、それはたとえば時間・空間の深みを探りたいとか、自分自身の真の姿を知りたいとかいう願望であり、それを可能にするのは、<魔法>の世界であればこそだといっている。(注6)
『ナルニア国物語』や『ホビットの冒険』はともかく、けたはずれて長編であり、レトリックも難解とさえ思える『指輪物語』が大人のみならず、子ども読者の心もしっかりとつかんでいるのは、それはこの世界ならぬ「もう一つの世界」がこの日常世界のルールに劣らぬくらい完ぺきな法則性をもって描かれていることであり、かずかずの苦難をのりこえる冒険性と、事件が次から次へと広がっていくおもしろさ、魔法のもつ不思議な魅力さ等であろう。
だが、ここでも忘れてはならないのは、この冒険小説の背後に流れている作者の考え(思想)の質である。『指輪物語』がフィクションである以上、アカデミックな理論書である『ファンタジーの世界』(注7)とはちがう種類の本だが、ことばをかえていえば、『ファンタジーの世界』で表わされているトーキンの具体的、直接的な考えが、構成とことばの表現の二つと融合しあい、トーキンの頭の中の構想力をへて、スケール大きなフィクションになったということができよう。
ファンタジーと子どもの関係についてトーキンは多少の皮肉をこめて次のようにいっている。
しかし妖精物語は、この文学的価値と同様に、それ独自の程度と方法によって、次のようなものを与えてくれるのです。それは、空想、回復、逃避、慰めなどですが、これらは大体において、子どもがすでにもっており、大人ほどに必要とすることが少ないものです。(注8)
子どもがすでにもっており、大人が社会の合理性に順応することにのみ価値を見出していくにつれて、失っていったもの―――それはまぎれもなく、想像力と感性による人間性の回復(生の復権作業)にほかならない。「子どもは人間の父なり」(注9)といったのは、十八世紀後半のロマン派詩人ワーズワースであるが、たしかに子どもは行動的で、喜びにあふれ、自由と可能性というすばらしい宝をもっている。
A・Aミルンは『ぼくたちは幸福だった』という自伝の中で「子ども時代が人生のもっとも幸福な時期であるとは必ずしもいえません。でも子どもにだけ可能で純粋な幸福があるものです」(注10)といっているが、ファンタジーの魅力は、子ども時代に失ったものをとりかえすことであり、もう一つの国を困難や危険をのりこえて探検することにより、自己の内部に存在する未知の部分を発見することであり、そのことにより新しい自己に変身していくこと(自己拡大)が可能なことである。
このようにみていくと、ファンタジーの構想力というものは、経験を保持しながらも、大人を束縛しているものを一瞬のうちに投げ捨て、子どもになり、子どもの物のみかた、考えかたをもち、子どもの立場に立って、子どもの世界を探ることが出発点にならねばならない。子どもの世界とは、まさに空想と創造の世界である。
一連の「メアリー・ポピンズ」もので、子ども読者を魅了したトラヴァースは、次のようにいっている。
自分も、かつては子どもであったということを知ること―――いまの自分というものは、過去に子どもであったその延長なのです。そこなわれ、傷つけられ、汚されてはいても、やはりそのときの子どもにほかならないのです。―――この事実を知り、この事実にふれていることが、わたくしどもの長い一生を、ばらばらにもせず完全なまま、そっくり自分のものにすることができるのです。 (「子どものための本」林容吉訳『図書』一九七〇年二月号)
ジェイムズ・バリが生みだした『ピーター・パン』は、子どもの中にある純粋さ、喜び、自由さを行動的に美しく結晶させ、その楽しさの具体性において小川未明に始まる日本の童心主義をしのいではいるが、永遠に大人にならない半妖精・半人間のピーター・パンは、大人が逃避すべき魂のふるさととして、都合よく子どもの中にある人間性の広がりを凍結させる危険性をもっているともいえる。
子どももいつかは大人になる。それは人間にとって後退では決してない。生きつづけるかぎり、子どもの中ににある自由な≪生≫はより深く、より広く高められる可能性をもっている。子どもと大人は本質的に対立すべきものではなく、子ども時代の延長線上に大人が存在するのである。この意味で、ファンタジーは童心主義や、子どもを大人の未完成とする思想、価値観からはまったく無縁なものである。
そこで、どのような過程をへて、ファンタジーが生みだされてくるのかを、もう少し執拗にみていくなら、次のような事実に多少おどろかされずにはいられない。
それは、ファンタジーの傑作といわれ、子ども読者に圧倒的な人気をもつ作品の多くが、具体的な聞き手として、特定の子どもをもっていることである。
最近ではトーキンの『ホビットの冒険』のことは余りにも有名だが、それ以外にもはじめて子どもの本に笑いと楽しさをもちこみ、子どもの本の質的転換をうながしたといわれる『ふしぎの国のアリス』(ルイス・キャロル)は、親しい三人の少女とともに、テームズ川をさかのぼるピクニックに出かけたとき語ってきかせた話が土台になっている。また、『たのしい川べ』(ケネス・グレアム)は息子に話をせがまれたとき、幼ないころテームズ川流域のおだやかな自然の中でくらした楽しく豊かな記憶を川べの小動物の物語の中に再現したといわれている。
詩人のデ・ラ・メアは四人の子どもたちに語りきかせた物語をもとにして『スリー・ロイヤル・モンキーズ』(注11)という冒険小説をかき、ヒュー・ロフティングは、戦場から子どもたちに書き送った絵入りの手紙をもとにして、全十一巻にわたる「ドリトル先生」シリーズを書きはじめたといわれる。
その他にも、古くはジョン・ラスキンの『黄金の川の王さま』から、ビアトリクス・ポターの『ピーターうさぎのお話』、A・Aミルンの『くまのプーさん』と枚挙にいとまがない。
最近では、イギリスの二大児童文学賞であるカーネギー賞とガーディアン賞を受賞した『ウォーターシップ・ダウンのうさぎたち』の作者、リチャード・アダムスはドライブのつれづれに子どもに話して聞かせた物語を発展させたという。日本ではあまり知られていないが、ジャーナリストであり、大人の小説家として知られたウィルキンスは、おふろのあとで語りきかせたかずかずのエピソードをまとめて、二人の子どもが失われた魔法を求める冒険物語『アフター・バス』をつくりあげた。
ここでは、イギリスの作品を中心に論を進めてきたが、『チョンドリーノの冒険』を書いたヴァンパ(イタリア)も、『長くつ下のピッピ』を書いたリンドグレーン(スウェーデン)も『小さい魔女』や『大どろぼうホッツェンプロッツ』を書いたプロイスラー(ドイツ)も、ともに子ども読者をつよく意識している。一九七五年夏、ミュンヘンでプロイスラー氏にお会いしたとき、「あなたの作品はどうして子どもに人気があるのか」という質問に、氏はユーモアたっぷりにこう答えてくれた。
「私は有能なアシスタントをもっている。彼は私の書く文章の一行一行にきびしいコントロールを加える。昼でも夜でも必要なときは、いつでもアシストをしてくれる。そのくせ、金は一銭も要求しない。このすばらしいアシスタントとは、つまり私の八歳の息子のことである。」(注12)
さて、ファンタジーの傑作の多くが、具体的な子どもの聞き手をもつか、子ども読者をつよく意識して生みだされてきたことは、一体何を意味するのだろうか。これは、少なくとも二つの重要な意味を持っていると思う。
一つは、コトバ(文章)と聞き手(読者)の間に"対話"が生まれることである。作品は作者と読者の合作であるという有名な言葉があるが、語りかけられることによって対話を約束された子ども読者は、語りかけられた文章にそれまでの経験のつみ重ねの中から、個性ゆたかな空想力、想像力を加えて、自分なりの受動的創造行為をなしとげ、逆に作者に“対話”を返すことができるのである。そして、読書のおもしろさは、読者のこの受動的創造行為をおいてほかにないと思える。
いま一つの重要な意味は、子どもを目の前にして語るということは、子どものもっている奔放な空想力、新鮮な感受性に対して、対等もしくはそれ以上のものを提供せざるをえないことである。つまり、かけねなしのおもしろさを与えねばならないことであり、語り手の話にたいくつしてきたときは、聞き手としての子どもはどれだけわがままで、ぞっとするような侮辱を平気で与えるかということは、残酷な事実である。
さて、<ファンタジーの構想力>というテーマを冠しながら、C・Sルイスの「子どもの本の書き方、三つ」をななめににらんだような論になったが、「作家の構想とは?」と大上段にふりかぶるより、もうそろそろ子ども読者のことをきっちりととらえる視点が生まれてもよいのではなかろうか。だが、決して子どもの欲するものを与える姿勢ではなく、子ども世界の広がりを、かつては子どもであった大人とわかちあい、さらに深め広げる作品世界を提供すべきである。
前出のL・Hスミスは「子どもの本のなかにもられた想像にみちた世界の戸を、大人のために開けてくれる(再びあける)鍵が一つある。それは子どもがつかんでいるのと同じ鍵―――楽しみである。」といっているが、その楽しい世界の中で、大人と子どもは一人の人間として対等に手をとりあうべきである。ファンタジーの世界は、そのためには最も適した表現伝達方法ではなかろうか。 "構想力"について、いま少しこだわるとしたら、数年前雑誌『日本児童文学』に毎号登場した「目下構想中」の作家たちのことが思い出される。(注13)
ぼくが記憶しているだけでも四十人以上の現代日本で活躍している作家たちが、これから書こうとしている作品について、熱っぽく語っていた。彼らは主体的な創作姿勢を貫いていて頼もしかったが、子どもや子ども世界の広がり、楽しさを明確に意識して構想をねっている作家たちはそう多くはなかった。歴史の断片や地方史に材をとり、また自ら歩んできた過去にこだわりつづけて筆をとろうとしている作家たちの誠実さはひしひしと感じられたが、子どもの中に人間性の復権や自らの楽しみの世界をみたファンタジー作品の構想はあまりみられなかった。作品テーマに対する作家個人の燃えたぎる情熱、執拗なまでの想いは創作行為として不可欠の要素ではあるが、「何故子どもに向かって語りかけるのか」という命題への手がかりを教えてほしいと思った。
C・Sルイスもいっているように、「子どもの文学が、おとなの自己表現の方法として最適であると思われるから書く」という書き方もあり、彼はまた「私が書かずにおきたいと思うものを書かずにおける」(注14)ともいっている。
これは、児童文学というメディア(表現方法)の特徴をつかんだ発言であるが『とげのあるパラダイス』(注15)の作家たちの多くは、二つの理由をあげている。一つは今触れた表現方法の問題である。つまり、「子どもの文学は、物語の本領である」という点である。
いま一つは、子ども存在への主体的な関わりである。ジョーン・エイキンがいみじくも述べたように、「想像と現実の境界、子どもであることと大人であることの境界―――この境界の国こそはげしく創作意欲をかきたてられる中間地帯」(注16)であるのである。つまり、作者の心の中には明らかに子どもが存在しており、その子どものためというより、おそらくはその子どもにうながされて書いたと思われる。
『床下の小人たち』で知られるノートンが、なぜこの作品を書いたのかという質問に対して、
わたくしが、借り暮らしの小人のことを、はじめて思いついたのは、わたくしが近視眼だったからだと思います。ほかの人たちが、はるかな丘や、遠くの森や、空かけるキジなどを眺めているとき、子どものころのわたくしは、わきをむいて、近くの土手や木の根、もつれあった草むらなどに見いっていたのです。(注17)
と答えたのは、興味ぶかいことである。くりかえすが、つまり「作者は『子どもの頃の自分のために書く』のではなく、子どもの頃の自分にうながされて書くのである。」(「読者にとって児童文学とは何か」猪熊葉子 明治書院)
最後にしめくくるとすれば、書くこと(創造すること)は生きることに他ならないということである。生きることが、どれだけ豊かに楽しさに満ちているか、逆にいえば生きる楽しさとは何か―――ということをつかんで、はじめて創造と構想の世界がはてしなく開けてくるといえるのではなかろうか。
注1 石井桃子ほか訳、岩波書店。
注2 『近代読者論』みすず書房『読者の世界』角川書店『伝達の美学』三省堂などを参照。
注3 猪熊葉子訳『ファンタジーの世界―――妖精物語について』福音館書店を見ると、「想像力と、それがうみ出す最終的効果である準創造との間をつなぐ鎖」として「技巧(アート)」をあげている。さらにファンタジーについて言及し、「そこで私が現在めざしている目的のためには、準創造それ自体と、心象からうまれる表現に奇妙さとふしぎさとを与える性質、それこそ妖精物語にとっと本質的な特性なのですが、このふたつを包摂する言葉が必要です。そこで私は(略)この目的のために空想(ファンタジー)という言葉を用いようと思います」と述べている。
注4 ルイスのこの論文は、のちに、清水真砂子訳により、『オンリー・コネクト―児童文学評論選II』岩波書店に収録された。
注5 中村妙子「C・Sルイスにおける想像的人間(イマジナティブ・マン)について」『日本児童文学』一九七四年四月号、すばる書房盛光社、収録。
注6,7,8 前出『ファンタジーの世界』
注9 自叙伝詩「序曲」(The Prelude)に次の個所がある。「子どもは人間の父親/そしてわたしは自然を敬う気持ちをもって/一日一日を過してゆきたい」(江河徹訳)
注10 原昌、梅沢時子訳『ぼくたちは幸福だった・ミルン自伝』研究社。
注11 飯沢匡訳『サルの王子の冒険』(岩波少年文庫)は絶版だが、脇明子訳『魔女の箒』国書刊行会に「三匹の高貴な猿」として収録されている。
(The Three Mulla Mulgars,1910)
注12 日本児童文学者協会のツアーで、主として西独(他に英仏伊北欧など)を回ったとき、プロイスラー氏との会見がもたれた。氏は夫人と愛犬とティエネマン社の社長兼編集長にともなわれていた。私達の中には、鳥越信、小出正吾、あまんきみこ、末吉暁子、和田登氏らがおられた。
注13 昭和四八年一月号より四九年十月号まで、約四五名の作家たちが登場した。中でも出色だったのは今江祥智氏の場合(四九年七月号)で、「別れっちまった両親の下、子どもはどう生きるのか――(略)むろん『ペーパームーン』同様、まじめなコメディーに描くつもりであります」と、明らかに子ども世界を意識していたことだ。今江氏のその作品は、のちに『少年補導』という雑誌に連載され、昭和五二年『優しさごっこ』として理論社から出版された。またテレビドラマとして連続放送された。
注14 前出「子どもの本の書き方、三つ」
注15 エドワード・ブリッシェン編、神宮輝夫訳『とげのあるパラダイス―現代英米児童文学作家の発言』偕成社。<まえがき>でブリッシェンは「大人の文学が、自己疑惑的複雑さをきわだたせて内へ内へ向かっているのに反し、子どもの文学はますます力強く大胆になってきている。(略)子どもの文学は、物語の本領である、大きな基本的なテーマとのかかわりを守りつづけている」と述べた。
注16 「無償のおくりもの」前出『とげのあるパラダイス』収録。
注17 林容吉「訳者のことば」『空をとぶ小人たち』岩波書店、収録。
テキストファイル化杉本恵美子