『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)
13 無垢へのノスタルジア――「文明」と子ども
1984年の元日はおだやかに明けた。陽ざしも静けさも新しい優しさに満ちていると思いつつ、年はじめの新聞を手にした。
しかし、まあ分量の多いこと! 半分に折って綴じて表紙をつければ、もう立派な書物ではないか。とりたてて新しいニュースはないが、別冊付録のように企画記事がごっそりとついている。それも明日への希望と人間讃歌に満ちた明るい記事めいたものばかりである。
年頭にあたって“人類はみな兄弟、今日も元気でオロナミンC”の気持ちはわかるが、読み手を真底あたためてくれる記事は意外に少ない。それだけ80年代後半の酷しい状況を前にしているといえるのだろうが、しがない宮仕えの身の私には羨しい記事も確かにあった。
「都会を捨てた元カメラマン一家」という見出しで、東京住まいの某NHKカメラマンが鹿児島県佐多岬から70キロ沖合にある屋久島の自然に魅せられ、脱サラをして一家をあげて移り住んで3年になるという記事である。屋久島の夜明けを写した写真と農業に励む一家五人の底ぬけに明るい笑顔の写真が大きく載せられている。
今年43歳になる某氏は「家族とは何か」という問いの答えをこの土地なら引き出せそうに思えて家族に相談し、折よく暮らしの在り方を模索していた妻と意見が合い、脱都会に踏み切ったようである。そして今では移住に消極的だった子どもたちも生き生きと島の生活を満喫しているという。
この種の報道はここ数年結構目につくようになった。昨年は新聞雑誌をはじめとして(児童文学関係の雑誌でも特に目立った)、子ども、教育、家族の問題が真剣に論じられた。現在、日本列島の北から南まで、多くの人間が都市型文明にドップリつかったり、それを模倣したりすることを余儀なくされている。生産活動という一つの目的のもとに家族が一体感を持って暮らしているケースは非常に少なく、地域の中で家族が孤立し、さらにその一人一人がバラバラに生活しているというのが寂しい現実であろう。
こういった現状を良しとする人は多くないだろう。忍従と諦観の中にあっても誰しもが自己の生き方を模索しているはずである。このようなわれわれ現代人にとって、「脱都会」とか「自然」「労働」という言葉自体ある種の陶酔感を覚えさせる。
それは、われわれの冷えきった味気ない生活に必要な荒々しい力、生の充足のための清澄な泉、心と心を結びつける確かな絆……といったものを夢想させる。
人は誰しも充足した生を得たいと思っている。だから、脱サラして自力で生きている人や文明の恩恵を捨てて自足の暮らしを始めた人の話を聞くと、我が身の意気地なさをタナに上げて、つい手をたたきたくもなる。それが、自身のことのみならず家族や子どものための決断であってみれば、敬いの気持ちを通りこしてまばゆいばかりの妬みまで感じてしまう。
頭の中には、荷車のあとを押す幼い兄妹の笑顔や清烈な谷川のそばで木を切り出す夫を助ける妻や子というアドベンチャー・ファミリーの美しいシーンが次々と灯り、おのれが失ってきた奔放な生のことを指折り数えたりする。
しかし……しかしである。冷静に考えてみると、そういう報道の裏に仕掛けられた「わな」に半分かかっている自身の姿が見えてくるはずである。それは、児童文学とか童話や絵本というものが宿命的に包含している美しく装った「わな」とたいへんよく似ているものである。
例えばここに一人の男がいる。男は某カメラマン氏や私と同じ世代に属するものである。男は今から二十年前に既に島(沖永良部島)に渡っている。十年前にはトカラ諸島の平島に永住の覚悟で移っている。男がなぜ島にひかれたかは、その著書『吐火羅国』(八重岳書房)『山羊と芋酎』(未来社)『海上の集落』(ナツメ社)などを読めば類推できる。某氏と重なり合う部分もあっただろうが、男(稲垣尚友氏)は自然を求めていったのではなく、明らかに人間を求めていったようである。人間のコトバといってもよいかもしれない。男は二十五年間の島との関係を捨て、今は“島抜け”を犯した身を自認しているが、島という一個の共同体が良くも悪くも彼を育んだのは事実であろう。
さて、屋久島に渡った某氏がもしも、稲垣氏のように単独の行動だったとしたらどうだろう。新聞が元日の記事としてここまで大きくとりあげただろうか。家族という子どものいる風景はそれだけで絵になるのだろうか。親が子を想う気持ち、健全な教育とは何か――といった要素(わな)があったからこそ、明るい記事として装われたのではなかろうか。
受験戦争、モノの氾濫、公害、核の驚異、心身の病、家族の分離と孤立といった状況の中で子どもを文明の外に連れ出そうとする気持ちはわかるが、はたして子どもの立場に立ったとしたらどう考えるだろう。
灰谷健次郎氏の新作「島物語」(注1)は一家をあげて島(淡路島)へ移住する話である。突然の父の申し出に小学四年のぼくと中学二年のねえちゃんが反対する。長い間考えた末に決断した父は、誠意をもって話し合うことで子どもたちを説き伏せる。しかし、子どもたちは父や母の主張を理解しながらも、暗いうちに起きて船に乗り、これまで通り都会の学校に通う。長編物語はやがて島での暮らしに充足していく家族の姿を描いていくが、ここには自ら淡路島へ移り住んだ灰谷氏の思想が下敷きとなっている。つまり、自然との交感、自然との一体感が人間の本質的な暮らしにとって必要欠くべからざるものだという考えだと思われる。しかし、好むと好まざるに関わらず、都市文明型生活を余儀なくされている現代人、とりわけ反自然の中で生まれ、育っている子どもたちにとっては、一個の人間の生き方として跳めることはできても、それが現実的な説得になりうるかどうかははなはだ疑わしい。むしろ、《文明》の中にこそ根強く息吹いている《自然》に目を向けさせることの方が、今日的ではなかろうか。
屋久島へ渡った某氏一家も、自然との調和、生命の対等感の中で、自らの道を作りあげられると思うが、文明型の人間にとって暮らしの場としての自然というものは、美しさ、優しさと同時に「荒々しさ」「苛酷さ」として現れるほうが多いだろう。また、素朴な暮らしが人間を優しくするという信仰もあるが、どんな辺鄙な地でも人間が人間に拠って生きていく生物である限り、共同体社会に組み入れられるのは自然のなりゆきであり、それ故にこそ共同体の中の人間は既に一つの闘争を運命づけられているともいえる。つまり、自然の問題はつねに人間の問題でもあるのだ。
われわれはイメージとして自然を想うことは得意だが、われわれの内にある未開としての精神界についてはなかなか理解しにくいものである。つまり、われわれの心の深層には、人類の黎明期から受け継いだ祖先たちの考えや感性が海のうねりのようにつまっており、それらがわれわれの生の行ないを支えているということである。
ユング派の心理学者、河合隼雄は「人間の心に意識というものができて以来、それを磨きあげることによって人類の文明は進歩してきた。しかし構築された意識が無意識の土壌からあまりにも切り離されたものとなるとき、それは生命力を失ったものとなる」(『昔話の深層』福音館書店)といった。
未開や野性といったものはわれわれのうちに荒々しい「自然」として存在する。それは、魅力的であると同時にまた非常に危険でもある。このことをテーマにした作品に、昨年度ノーベル文学賞を受賞したゴールディングの『蠅の王』(注2)がある。
物語は近未来小説の形をとっており、核戦争を避けて飛行機によって疎開した学童たちが、敵の攻撃を受けて切り離された胴体に収容されたまま、南太平洋の孤島に不時着したという設定で始められている。初めのうち少年たちは、文明社会の規律をまねて小さな共同社会を作りあげようとする。しかし、やがて少年たちの内なる「無垢」は悪の萠芽によって汚されてゆく。獣的なバイオレンスが彼らを無気味に威圧し、恐怖と混乱を惹起してゆく。常識人のラーフはブタを殺すことのできるジャックによってリーダーを降ろされる。「豚ヲ殺セ! 喉ヲカキ切レ!」ジャックと狩猟隊は悪に気づいたサイモンを殺し、知性的なピッグを海に突き落とし、ラーフを狩り立てる。
『蠅の王』は、1950年代のサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』、60年代のル=グウィンの『ゲド戦記』、70年代のトーキンの『指輪物語』に並び、若い世代に熱狂的に読まれた作品である。
昨今は児童文学も驚異的な広がりを見せ、ヤングアダルトへと読者層を広げつつあるが、この作品の痛快さは児童文学が包含している「わな」とは無縁のものである。それどころか「無垢」への感傷的な憧憬と信仰を見事に葬り去っている。
『子どものイメージ――文学における「無垢」の変遷』の著者ピーター・カヴニーは、子どものイメージは「成長のシンボルとして、無垢、哀憐、郷愁、悔恨、逃避、死の表象として、芸術家の個人的境遇への反応のみならず、社会全体の自己反応も内に包含している」と述べたが、これは今日の児童文学の商品の土台を支えている一つの要素といっても過言ではないだろう。
ゴールディングもまた子どもの中に「無垢」を見たが、それは悪というものを巣喰わせている荒々しい混沌とした意識下の世界であった。彼はこの作品をイギリスの伝統的少年海洋小説であるバランタインの『珊瑚島』のアンチテーゼとして位置づけている。つまり、時代こそ違え『十五少年漂流記』(ヴェルヌ)や『スイスのロビンソン』(ウイース)や『ランサム・サガ』(注3)(ランサム)といった一種のサバイバル小説を痛烈に否定している。
児童文学が不可欠な要素として持っていると思われている生の肯定、物語の完結性、問いへの答えをこの作品は一切拒否している。海洋小説のパターンを借りながら、その楽天性をひっくり返し、人間悪への絶望と恐怖をたんたんと追っていく。極限状況へ放り出された少年たちの自然(太陽、火、水、土、空)への畏怖と憧憬を具体的かつ鮮明に描写していく。ゴールディングは答えを出そうとしないが、聖なる者、少年サイモンの死の中に内なる暗黒を見つめる人間の勇気を提示しているようである。
『走れ、ナフタリン少年』(北宋社)の中で川本三郎は、「野性から文明へ。そのベクトルが近代的と呼ばれるものだ。だが、それは違うのではないか。われわれは、野性的なものを切り捨てたために、現在、あまりに理性的でそれ故に退屈な文明しか獲得していないのではないか。野性的なもの、始源的なものへもう一度立ち帰って見るべきではないのか」と述べている。これは、内なる暗黒(原罪)を勇気をもってのぞくことによって生の充足をもう一度取り戻そうとするこの作品のモチーフに近いといえる。
いずれにせよ、それはわれわれ都市文明人がこたつに入って新聞を見ながら瞬時遠くの未開の地の自然を美しく夢想する次元とは著しく異なっている。私を筆頭に大人という一般常識人は児童あるいは児童文学の中に<再生の夢>を託そうとする種属のようである。美しく装った「わな」にコロリとまいってしまう人種である。
ところで『蠅の王』のノーベル文学賞受賞に際して、英米では中学生が読む作品として定着しているために「苦労しなくても楽しく読め、しかもためになる」という授賞理由の一つをめぐって不満がバクハツしたようである。ちなみに、英国の書籍市場委員会が三人の選者に「1945年以降に英語で書かれた小説の中でベスト12は何か」という難問を出したが、その答えが昨年末発表された。選者は作家のハワード、ロンドン大教授のホガード、前英国鉄総裁のP・パーカー氏で、ジョージ・オーウェルの『動物農場』など13冊を選び出した。この中に『蠅の王』も入っていたが、この結果をめぐってまさに議論百出。ゴールディングを「文豪」と認めるものもいれば、単なる「変わり種」というものもあり、興味深かった。
1983年は、児童文学においうても文明に対する不信感と野性への憧れが特徴的に表れた年といえるのではなかろうか。冒険、ファンタジー、記録文学の分野で印象に残った作品は次のようなものだった。
「ジャングルの少年』チボール・セケリ、高杉一郎訳、福音館書店、『こおりついた炎』ヒューストン、いしいみつる訳、ぬぷん児童図書出版、『アナグマと暮した少年』エッカート、中村妙子訳、岩波書店、『反どれい船』D・カーター、犬飼和雄訳、ぬぷん、『大いなる冒険』スピレーン、石田善彦訳、晶文社、『さくら通りのメアリー・ポピンズ』トラヴァース、荒このみ訳、篠崎書林、『小人たちの新しい家』ノートン、猪熊葉子訳、岩波書店、『魔法の城』ネズビット、八木田宣子訳、冨山房、『火の鳥と魔法のじゅうたん』ネズビット、猪熊葉子訳、岩波書店、『カナダ・インディアンの世界から』煎本孝、福音館書店、『小さな国のつづきの話』佐藤さとる、講談社、『オレンジ党、海へ』天沢退二郎、筑摩書房、『もうひとつの空』あまんきみこ、福音館書店。
※
『ジャングルの少年』の作者チボール・セケリは、いくつもの外国語とエスペラント語を自由にあやつる学者であり、また世界中を旅して歩く探検家でもある。物語は南米アマゾンの村々を結ぶ定期船が難破し、乗客たちは命からがら対岸のジャングルへ避難するところから始まる。いきなり未開の地へ放り込まれた30人の乗客たちは、生き伸びるために何をすればいいかがわからず、怯えているところへ弓矢を持ったインディオの少年たちが現れて救うといった話である。自然から学んだ野育ちの知恵が人間の暮らしにいかに大切であるか、考えさせる一冊である。
『こおりついた炎』は、鉱脈さがしにでかけたまま行方不明になった父を探そうと主人公の少年がエスキモーの友と二人で出かけるという物語である。極北の地で食料も荷物もすべて失い、死と直面した少年は、エスキモーの人たちに伝わる暮らしの知恵のおかげで生き伸びることができるわけだが、ここにも自然と人間の関わりが力強く示されている。
『アナグマと暮した少年』は実際に起こった出来事を基にした作品である。草原ではぐれ、雷雨を避けて逃れた所がアナグマの巣穴だったため、アナグマと親子のように暮らしたのち家族に救出される少年の話である。作者は、動物と人間が通じ合うことのできる世界、生と死が直面した緊張感あふれる中にも生命の共感を呼ぶ世界を提示している。
さて、20世紀も残りわずかであるが、われわれは今世紀の課題として、人間と文明の真の意味を問い質す必要に迫られているようである。そのためには、地道でかつ積極的な問いかけが望まれるが、1983年には古典的なシリーズ作品で著名な作家が、長い間の沈黙を破って続編を発表した年としても印象深かった。展望の開けない80年代後半の酷しい状況の中にあって、一つのテーマを追う創作行為を通して生きる意味を問い続けた姿勢には心打たれた。
佐藤さとるや天沢退二郎は沈黙とは無縁だが、それぞれ「コロボックルシリーズ」と「魔法シリーズ」の続編を発表した。『小さな国のつづきの話』は1959年に始まった『だれも知らない小さな国』の五巻めで、実に25年にわたっている。
ネズビットの作品は単なる本邦初訳であるが、トラヴァースは『公園のメアリー・ポピンズ』(1952)以来、30年ぶりに筆を取り、それが翌年(1983)邦訳された。前作に比べみずみずしさは薄められているとはいうものの、主人公の魅力と香りはなかなかのものである。
しかし、何といっても秀逸はノートンの新作である。ノートンが小人シリーズの第一作『床下の小人たち』を書いたのは1952年のことであり、ゴールディングの『蠅の王』(1954)と同時期である。どちらも世界大戦という試練をくぐり、科学文明にかげりを感じ始めた頃に筆を取っているといえる。
『野に出た小人たち』(1955)『川を下る小人たち』(1959)『空をとぶ小人たち』(1961)と四部を出し、一旦完結したかに思われていた。ノートンが再び筆を取って第五部『小人たちの新しい家』を書き上げたのは一昨年のことで、昨年岩波書店より邦訳された。ノートンが79歳の時である。
このシリーズは小人の受難を通して人間の悲劇を描いているといわれている。借り暮らしやのポッド、ホミリー夫妻とその娘アリエッティは、人間に依拠することによって細々と暮らしを続けていたが、人間に発見され、追われ、脱出し、様々な苦難の後についに囚われ、見世物にされようとする。第四部では明るい展望は示されないながら、ともかく気球にのって脱出し、再び逃避行を続ける決意をするところで幕を閉じている。
新作の『小人たちの新しい家』は前四作に比べても見劣りしないくらいすばらしい。追われる小人たちを追う人間の緊迫感が快いリアリティを伴って読み手の胸に伝わってくる。気球でプラター夫婦のもとを脱出した小人たちは、野育ちのスピラーの助力で「幽霊屋敷」という空っぽの家に移り住む。すぐ近くの教会にはヘンドリアリ一家が住んでいる。アリエッティは新しい家でピーグリーンという足の不自由な一人暮らしの青年と友だちになる。絵を描くのが好きなピーグリーンやヘンドリアリの末っ子のルーピー少年たちと愉快に過ごすが、執念深いプラター夫婦にルーピーが囚われそうになる。
物語はあわや!のところでプラター夫婦が教会侵入の現行犯で捕えられ、めでたく幕を閉じるが、ピーグリーンがアリエッティにいった「本当にぼくたち安全かねえ! いつまでも?」という言葉は印象的である。優しくアリエッティをさとしているように見えて、誠に酷しい人間への不信宣言であった。
ノートンが30年にも渡って書き続けてきた「小人シリーズ」は人間の真の“主体性”の追求ではなかっただろうか。物語の中で小人たちが依拠せざるを得ないインゲン(人間)は、つまりは「文明」の代名詞でもあった。だからこそ、インゲンたちから借り暮らしはしても決して信じてはならないのである。野育ちの野性味あふれるスピラーを小人一家の導き手として位置づけた意味もうなずける。
しかし、これだけのことであれば前作に十分描かれていたはずである。ノートンが再び筆を取ったのは、ピーグリーンという新しいタイプの青年の存在ではなかっただろうか。三部、四部とアリエッティがいつスピラーと結ばれるのかとハラハラドキドキしていた読者は、新作でスマートな現代青年ピーグリーンに出会い、ますます戸惑ってしまう。
ノートンは、現代(80年代)を生きる若者の中にスピラーとは違った新しいタイプの「主体性」を提示したかったのではなかろうか。大人たちは「昔はよかった」という言葉をすぐ口にするが、現代を生きる子どもたちには、ふり返ることによって慰められるものは何もない。あるのは「いま」なのだ。子どもたちや若者たちを信じることを、新作によってノートンは伝えたかったように思えてならない。
さて、80年代後半を迎えて、「野性」や「自然」や「反文明」はいっそう脚光を浴びるだろう。しかし、夢想したり、逃避したり、自らを慰めることで展望は開けない。これから続々と生まれてくる新しい多くの主人公(子ども)たちにとって、「文明」はまさに母なるふところである。われわれはそのことを決して忘れてはならない。
注1 三部作から成り、第1部『はだしで走れ』(1983年6月)第2部『今日をけとばせ』(1983年9月)が出ている。いすれも理論社。
注2 平井正穂訳、集英社。
注3 『ツバメ号とアマゾン号』(1930)にはじまり、『シロクマ号となぞの鳥』(1947)で完結するアーサー・ランサムの十二典のシリーズ。少年少女たちが湖や山や海でくりひろげる冒険日常休暇物語である。
テキストファイル化塩野裕子