『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)
3 絵本の旅
――わたしの出会った絵本(1)英米編
『ピーターラビットのおはなし』ビアトリクス・ポター
いたずら子ウサギのピーターが活躍する小型絵本(110×145@)が出版されてから四分の三世紀をすぎたが、その人気はいっこうに衰えるようすがない。
ミニチュア絵本の宝石といわれるポター女史の二十冊をこえる絵本の魅力は、服を着たり、帽子をかぶったり、エプロンをしているウサギやネズミやリスたちの仕ぐさや行動が愛らしく生き生きと描かれているところにある。自ら好んで多くの小動物を飼っていたポターは、スケッチをとおして徹底的な写実性を求めたという。ポターの動物たちは、どんなに豪勢な衣装に身を包んでいても、ウサギはウサギらしく、ネコはネコらしく、少しも不自然さを感じさせない。またポターのお話の世界は、逃げたり追っかけたり、だましたりだまされたり、通常弱いネズミがネコをねこまきだんごにして食べようとしたりという、新鮮な緊張感にあふれている。一世紀以上も前に裕福な弁護士の娘として生まれ、ヴィクトリア女王時代の牢獄のようなモラルや慣習に縛られていたポターは、夏の間すごす湖水地方にわずかに生きる意味を見出していたという。ひそかに暗号日記をつけていた彼女は、自分だけの世界に逃げこむことにより、痛烈な人生批判をしていたともいえる。
一九〇二年に処女出版された『ピーターラビットのおはなし』は、二十七歳のとき病気で寝ている家庭教師の息子のノエル坊やを慰めるために送った絵入りの手紙がもとになっている。お母さんのいいつけを忘れてマグレガーさんの畑でさんざんいたずらしたピーターが、マグレガーさんより恐いネコにみつかって、服や靴をとられて命からがら逃げてくるおはなしだが、最後にくたくたになって横たわっているピーターの寝顔に、子どもがだれでも経験する精一杯あそびまわったあとの快い疲労感、満足感を思って吹き出してしまう。
ポターの文章は簡潔できびきびしたリズムがある。これはポター自ら「簡潔になればなるほどよい。文章をみがかなくてはならないときには、聖書を読む」(注)といっていることと無関係ではない。翻訳された十五冊のなかで一番傑作なのは、ふてぶてしいネズミの夫婦の出てくる『ひげのサムエル』(別名、ねこまきだんご)と、ポター自身もっとも気に入っているという、絵も文もしっとりとした情感にあふれた『グロスターの仕立屋』であろう。
(注) 「『ピーターうさぎ』とビアトリックス・ポター」ヒューリマン・野村●(サンズイに玄)訳『子どもの本の世界』(福音館書店)収録。
※Potter,Beatrix(1866〜1943)
The Tale of Peter Rabbit (1902. ピーター・ラビットのおはなし) The Tale of Benjamin Bunny ('04. ベンジャミン・バニーのおはなし) The Tale of Flopspy Bunnies('09. フロプシーのこどもたち) The Tale of Samuel Whiskers of the Roly-Poly Pudding('03. ひげのサムエルのおはなし)「ピーターラビットの絵本」として、第1集〜第5集(15冊)が出されている。いずれも石井桃子訳、福音館書店。
『チムとゆうかんなせんちょうさん』エドワード・アーディゾーニ
一九五七年のケイト・グリナウェイ賞を受けた「チムひとりぼっち」は十冊のチムシリーズの一冊だが、少年チムほど子どもが持っている空想の世界をかっこよく歩いた少年は少ない。チムは行動的な少年であり、悲観的な状況(両親がいなくなったり、空腹で死にそうになったり、大人たちから冷たく扱われたり)を持ち前の素直さや勇ましさや明るさで乗り越えていく。チムを支えるものは健康的な憧憬であり、それは男の子なら誰でも望む海の彼方にあるものである。
少年と海――児童文学にとってこれほど普遍的なテーマはない。アーディゾーニは、子どもの時イプスウオッチという港町で毎日眺めていた海のことを想って、少年の願いに具体的な形を与えたのである。一人っ切りで海に出、船乗りという大人たちの社会に入っていくこと自体大変魅力的なテーマであるが、アーディゾーニはチムの誠実さに答える大人たちをちゃんと用意していて、子どもの夢がかなえられるよう心憎い配慮をしている。
アーディゾーニの絵は、ドローイングという線描が基調であり、表現を深めるときも色付けより線の陰影によって効果を出している。また「私は挿絵を舞台のある場面と考えるのが好きだ。私がかぶりつきに坐っていて、全体が離れたさきにある」と述べているように、かたくななぐらい全景を重んじている。これらの要素が子どもへのとっつきやすさと安心感を与えるのではなかろうか。
「チム」の絵本が生まれるきっかけは、前回のポター同様子どもへの語りかけである。ある日彼は奥さんに子守りを頼まれて、六歳と四歳のわが子に「チムは海岸に住んでいました。チムは船乗りになりたくてたまりませんでした……」と話しだしたという。「チム」のお話が持っている息もつかせないスリリングな展開は、聞き手を退屈させない思いやりから生まれたものであろう。
なおアーディゾーニは、自らの絵本以上にファージョンの『ムギと王さま』、デ・ラ・メアの『聖書物語』、ピアスの『ハヤ号セイ川をゆく』などのさし絵で高く評価されていることを付け加えておきたい。
※Ardizzone,Edward(1900〜79)
Little Tim and the Brave Sea Captain (1636. チムとゆうかんなせんちょうさん,瀬田貞二訳,福音館) Lucy Brown and Mr.Grimes('37. ルーシーのしあわせ) Tim and Lucy Go to Sea ('38) Tim All Alone ('56, チムひとりぼっち,神宮輝夫訳,偕成社) Tim's Last Voyage('72)
『ちいさいおうち』バージニア・リー・バートン
バートンほど子どもに人気のある絵本作家はめずらしい。「子どもの本を書いたり、その絵を描いたりするには、子どもたちといっしょに仕事をするのが一番いい方法である。子どもたちこそ最上の批評家である」(注)この言葉は、彼女の最初の絵本となった『いたずらきかんしゃちゅうちゅう』が長男アリス(当時四歳)のために、次作『マイク・マリガンとじょうきシャベル』が次男マイクのためにというように、常に特定の子どもを目の前にして、子どもの発想、視点を生かしていく過程で生まれたのである。子どもの興味にそうということは、一歩間違えば薄っぺらな娯楽性におちいりやすいが、彼女の場合自らの生きざま(思想・人生観)を土台にしていることにより、読書年齢にしたがって相応の文学性芸術性が深まっていく。『いたずらきかんしゃ』に見られる機械文明への批判や、一九四二年にコールデコット賞を受けた『ちいさいおうち』にある文明の進化と人間性の問題の追求などずっしりした読みごたえを与え、大人読者にも愛されるゆえんである。これらの問題は表面に現われず、物語性の巧みさとスピード感ある展開により、めくるのが楽しい絵本本来の効果を存分に発揮している。
バートンは一九〇九年にボストンの近くで生まれ、カリフォルニア美術学校で勉強するかたわら、姉の影響でバレエを習った。彼女の絵が動感にあふれているのは踊りのせいかもしれない。また独特の渦巻き状の場面処理は舞台の広がりを考慮したものであろう。やがて二二歳で彫刻家のディミトリオスと結婚し、子どもが生まれ、その子らの成長とともに、パートンの絵本が花を開く。『ちいさいおうち』はバートン自身の引越が下敷きにされている。静かな田舎の丘の上に立っていた小さな家の回りに、町ができ自動車や電車が通り、高架線や地下鉄ができ、高層建築が囲み、ついに大都会になってしまった中で自らを守りつづけてきた小さな家が、リンゴの丘に移されるまでの話である。ページごとに変わっていく小さい家の回りの様子が手にとるように分り、その中で淋しそうにしていく家の表情が巧みに描かれている。最後の場面での、静かで美しい自然のもとに帰った家の表情に、読者はほっとして小さな声援を送りたくなるのである。
(注) 光吉夏弥、「バージニア・リー・バートン」(絵本の世界10)『月刊絵本』一九七五年六月号、ずはる書房盛光社。
※Burton,Virginia Lee(1909〜1968)
Choo Choo(1937. いたずらきかんしゃちゅうちゅう,むらおかはなこ訳,福音館書店)Mike Mulligan and His Steam Shovel('39, マイク・マリガンとスチーム・ショベル,石井桃子訳,福音館書店)Calico:The Wonder Horse('41.名馬キャリコ,瀬田貞二訳,岩波書店)The Little House('42.ちいさいおうち,石井桃子訳,岩波書店)Katy and the Big Snow('43.はたらきもののじょせつしゃけいてぃー,石井桃子訳,福音館書店)Life Story('62.せいめいのれきし,石井桃子訳,岩波書店)
『げんきなマドレーヌ』ルドウィッヒ・ベーメルマンス
「私は絵をかくのにおとなの才能を使いはするが、それを子どものように使う」(注)といつたのはベーメルマンスだが、このコトバに絵本に対する彼の考え方が凝縮されている。
彼の絵は、自由で大らかでのびのびしているが、これは彼が絵を楽しみながら描くことを大切にしているためである。描きたいときに描きたいものを自由に描く――だから彼の線描(ドローイング)は踊っているように快活で、大胆な構図の中にも小鳥や草木や墓碑銘などで細部をゆたかに盛り上げている。
『げんきなマドレーヌ』が出版されたのは、約四十年前の一九三九年のことであるが、リズムのきいた簡潔な語り口、うきうきした線描にのせておてんば娘のマドレーヌが登場したとき、世界中の子どもたちがすぐに仲よしになってしまった。このお話は、いつも一緒にくらしている十二人の女の子の中の一番のおちびさんのマドレーヌが盲腸で入院し、十一人の女の子たちがお見舞いに出かけ、マドレーヌの手術のあとをみておったまげて帰り、その夜先生のミス・クラベルが子どもたちの部屋へかけつけてみると、「わーわー、もうちょうをきってちょうだいよー」とみんながないていた――という筋立て。
この絵本の圧巻は、御見舞のキャンディーやくだものやおもちゃにかこまれて、パジャマをぐいと引き上げて手術のあとを見せているマドレーヌの得意そうな表情のところであるが、ベーメルマンスの絵本は、子どもたちが考えたり感じたりする心の動きに、心にくいほどぴったり息を合わせている。これは、彼が子どものもっているのびやかさ、純真さを失わない大人であったことと、常に子どもたちに語りかけながら創っていくタイプの作家だったことと無関係ではない。『げんきなマドレーヌ』では、交通事故で入院した女の子がいたことがヒントになっているし、『マドレーヌといぬ』では、『げんきなマドレーヌ』のつづきを熱望した子どもたちが自ら考案した台本が土台になっている。
オーストリアに生まれ、アメリカに帰化したベーメルマンスは、小さい頃から絵に対する無理解と闘いながら、ホテルでの皿洗いをしたりして独学で描き続けた。彼の絵も話も、自由で屈託がないのは、何ものにもとらわれたくない彼の生き方が反映しているためだと思われてしかたない。
(注)光吉夏弥、「ルドウィッヒ・ベーメルマンス」(絵本の世界2)『月刊絵本』一九七四年十月号、すばる書房盛光社。
※Bemelmans,Ludwig(1898〜1962)
MADELINE(1939. げんきなマドレーヌ)MADELINE'S RESCUE('51. マドレーヌといぬ)MADELINE AND THE BAD HAT('56. マドレーヌといたずらっこ)MADELINE AND THE GYPSIES('58. マドレーヌとジプシー)いずれも、瀬田貞二訳で福音館書店。
『もりのなか』マリー・ホール・エッツ
「私の子ども時代の一番楽しい思い出は、ウィスコンシン州のノースウッドの夏です。私は森を駆け、ヤマアラシやアナグマやカメやカエルなどをおいかけるのが大好きでした」(注)と語るマリー・ホール・エッツ夫人は、自分の子ども時代の楽しい思い出を土台にして、数々のすばらしい絵本を生み出した。
『もりのなか』は一九四四年に出た彼女の三冊目の本で、小さな男の子が紙の帽子をかぶり、新しいラッパをもって、森の中へ散歩にゆくと、ライオン、ゾウ、クマ、カンガルーと次々に会い、一緒に散歩し、食事をし、ゲームをしたあと、かくれんぼをする。おにになって目をあけると誰もいなくなって、森の出口でお父さんが笑っている――という筋立て。現実からファンタジーへの入り方と出方がたくみで、また黒一色のラフな画面にしっくりした情感があふれ、何度ひらいても静かな感動があとに残る。
この絵本は、不治のガンにかかった夫の最期の日々を看取りながら描かれたといわれているが、最後の場面で誰もいなくなった森の木立は当時のエッツの心象であり、だからといって決して暗さを感じさせない。むしろ、最初の夫を戦争でなくし、社会事業に身をゆだね、からだをこわし、再び絵の勉強に精を出すという彼女のたくましい楽天性を透かせてみせてくれているような気がする。
『もりのなか』の続編の『またもりへ』は、小さな男の子が森へいったら、動物たちが会議をひらいていて、誰が一番上手に何かをできるかを話しあっていて、みんなおもしろいことをやったが、笑うことのできるのは男の子だけで、一等になった――という筋立て。
エッツのこの二冊の絵本は、子どもが遊び(ファンタジー)の世界にとびだす前と後の、快い静の世界をたくみにとらえている。しっとりとした味わい深い芸術性は、このあたりに鍵があるかもしれない。
エッツの他の作品としては、初めて色彩を用いて描いた『わたしとあそんで』や、メキシコで二年過ごしてとりくんだ、一九六〇年度のコールデコット賞受賞作『セシのポサダの日』がある。
(注)長倉美恵子「マリー・ホール・エッツ―私のエッツ夫人」『絵本の世界』一九七三年八月号、らくだ出版デザイン株式会社。
※Ets,Marie Hall(1895〜)
Mister Penny(1935)In the Forest('44. まさきるりこ訳,福音館)Oley:The Sea Monster('47. 海のおばけオーリー,石井桃子訳,岩波書店)Little Old Automobile('48.ちいさなふるいじどうしゃ,たなべいすず訳,冨山房)Another Day('53. またもりへ,まさきるりこ訳,福音館)Play With Me('55. わたしとあそんで,与田準一訳,福音館)Nine Days to Christmas('59. セシのポサダの日.田辺五十鈴訳,冨山房)Gilbert and the Wind('63. ジルベルトとかぜ,たなべいすず訳,冨山房)Elephant in the Well('72. いどにおちたぞうさん,たなべいすず訳,冨山房)
『あおくんときいろちゃん』レオ・レオーニ
とびらを開くと、青い色紙をちぎった直径三センチほどのまるがまんなかにぽつんとあるだけ。文章も簡潔に「あおくんです」。お話はこのあおくんと黄色の色紙をちぎった「きいろちゃん」のからみで進められていく。あおくんのパパもママも家も、きいろちゃんのパパもママも家も、ふたりの友だちも、出てくるものはみんな色紙をちぎった抽象のフォルムで示される。留守ばんを頼まれてさびしくなったあおくんがきいろちゃんの家へいくがいない。町中さがしてやっと会えたうれしさに互いにだきあう。あおくんときいろちゃんがかさなって、だんだんみどりになっていく。(色の三原色の法則!)ふたりは楽しくてしかたがない。家に帰ると、みどりになったふたりをみてもパパもママも気がつかない。ふたりが泣くと青色と黄色の涙がながれ、一つにとけてまたあおくんときいろちゃんにわかれる。こうして大人も子どもも、だきあう(心をよせあう)と、みどりいろになって楽しくなってくる――という筋立て。
この絵本は、レオニが汽車に乗っているときに孫たちにせがまれて、色紙をちぎって即興のお話を聞かせてやったことがきっかけになって、(注1)一九五九年に出版された。レオニといえば、世界的に著名なグラフィック・デザイナーであり、多彩な創造力はグラフィック・アートの各方面にわたって偉大な足跡を残している。彼は五〇歳になったら、本当にやりたいことを始めようと思い、イタリアに帰るが、『あおくんときいろちゃん』の成功や、「わたしが今までにしてきたいろいろのことのなかで、子どもの本ほど大きな満足を与えてくれたものは少ない」(注2)という表現形式に対する好みで、以後絵本を次々に発表する。彼の絵本の特徴は、お話がはっきりしている、自由な寓意をはめこんで読める、絵の手法を作品によって変えている、大胆な様式化と効果的な色彩、デフォルメのうまさと展開のあでやかさなどデザインのよさを十二分に発揮している。
他の作品でとくに心に残るのは、彼自身の行きざまをうたったといわれる、詩人ねずみの『フレデリック』、自分なりの生き方をさらりと描いた心にくいしゃくとり虫の『ひとあしひとあし』などである。
注1 「絵本作家としてのレオ・リオニ」光吉夏弥『月刊絵本』一九七五年三月号、すばる書房収録。
注2 「一九三六年ミラノから」インタビュアー、M・ラマツォッティ、掛川恭子訳『子どもの館』一九七六年六月号、福音館書店収録。
※Lionni,Leo(1910〜)
Little Blue and Little Yellow(1959. あおくんときいろちゃん,藤田圭雄訳,至光社)Inch by Inch('61. ひとあしひとあし)Swimmy('63. スイミー)FredericK('67. フレデリック)Pezzettino('75. ペツェッティーノ,谷川俊太郎訳,好学社)A color of his Own('75)至光社,好学社以外はすべて,文化出版局で谷川俊太郎訳。
『おやすみなさいフランシス』ラッセル・ホーバン
この作品は、小さなフランシスがおとうさんおかあさんにおやすみなさいのキスをしてもらってから眠りにつくまでの、ごくありふれた日常生活の断片を絵本にしたてたものである。大人の目からみれば、なんの妙味もない怠惰な日常性のくりかえしの時間かもしれないが、小さい子どもたちの瞬発力あるキラキラした心をジャンピング・ボードにして、ホーバンは眠りにゆく子どもの世界を見事に絵本に結晶させた。
この絵本の文句なしのおもしろさは、二つの要素から成り立っている。一つは、父・母・フランシスというそれぞれの登場人物が自分の立場(生きていく場)をわきまえ、互いにベタベタしない本物の愛情を仲立ちとして家族を構成しているそのありようであり、いま一つは小さいフランシスの目や感じ方や考え方を通して物語を展開していくその方法である。だが、さらに重要な視覚的要素として忘れてならないのは、ガース・ウイリアムズの絵のうまさである。この画家の類いまれな才能は、絵本の傑作『しろいうさぎとくろいうそぎ』で十分立証ずみだが、写実的でない故に不思議なリアリティーをもった白黒の淡いトーンは、小さな子どもたちの世界とどこかでしっかりとつながっているようである。
さて、視覚的な部分を加えた以上三つの要素は、別々に存在するのではなく、一つに融合されたときそこに絵本としてのおもしろさが発揮されるのは当然のことだが、ここではおとうさんとフランシスのからみにもっとも効果的に展開されていっているようだ。このおとうさんは小さいフランシスの想像を冷たく否定するのではなく、フランシスと同じ地点に立っておとうさんの考えを述べてゆく。フランシスの疑問に対応するおとうさんの答えは、小さい子どもたちがゲーム遊びをしているようでほほえましく楽しい。
アメリカのペンシルバニア州で生まれたラッセル・ホーバンは、大学時代に知りあった奥さんのリリアンとのコンビの仕事も多い。ラッセルが文を書き、リリアンが絵を描いたものは、フランシスシリーズでは、『フランシスのいえで』、『フランシスのおともだち』などがある。
※Hoban, Rusell(1925〜)
What Does It Do and How Does It Work(1959)Bedtime for Frances('60. おやすみなさいフランシス,松岡享子訳,福音館)The Mouse and His Child('67)The Lion of Boas-Jachin and Jachin Boas('73)Riddley Walker(1980)Flat Cat('80)
『エミールくん、がんばる』トミー・ウンゲラー
世界的に著名な広告美術家であり、デザイナーであり、優れた風刺家でもあるウンゲラーは絵本の分野でもユニークな仕事をてがけている。愛娘フィービーちゃんに捧げた絵本も多いと聞くが、彼の絵本が大人にも子どもにも共感を呼ぶのは、「わたしが子どもの本を作るのは、自分のためなのです。わたしの個人的な楽しみのためなのですよ」(注1)と自ら述べているような創作姿勢に徹していることによると思われる。
それにしても彼の絵本の主人公ほど型破りなキャラクターは珍しい。ぶた、へび、たこ、はげたか、こうもり、わに、山賊、月男……とおよそ愛嬌に乏しい人物であるが、ウンゲラーの手にかかると、またたくまにその特性をいかんなく発揮して強烈でコミカルな個性を感じさせる。
『エミールくん、がんばる』は六〇年代の《黒の時代》(注2)に移行する前のウンゲラーとしては初期の作品に位置づけられるが、線描を基調とした彼の画風は、エミールの大活躍、うきうきした得意満面の気持ちを捉えて流れるように画面いっぱいを踊る。八本の足を自在に使ってハープをかきならしたり、わるものをまとめてやっつけたり、たこならではの着想が生きているが、なかでも楽しいのはエミールが演じるひとまねごっこ――からだじゅうをふくらませたり、ちぢめたりして、いすになったり、とりになったり、思わず吹き出してしまう。思うにウンゲラーは型破りの主人公の特質を効果的に作品に生かすことが極めてうまい。
前作『へびのクリクター』でも、細長いひものようなからだを見事に作品に生かしていて、子どもたちから喝采をはくしているが、『エミールくん――』ではしめくくり方によい意味での変化があらわれている。クリクターがモニュメントにされて表彰されて終わるのに比べ、エミールは自分流(マイペース)の生きる楽しみを大切にし、静かな海の底に帰り、ときおり訪ねてくる友人の船長とチェスをしている場面で終わらせている。このあたりに戦争中ナチに苦しめられて人間の生きる意味を考えさせられた影響が出ているのだろう。
さて、楽しくてちょっぴり人間風刺をきかせたウンゲラーの絵本の中で出色なのは、『月男』(ムーン・マン)であろう。月から来て月に帰る男の哀感は大人に親しいものであるが、『ゼラルダと人喰い鬼』『すてきな三人ぐみ』などは子どもにより楽しい絵本となっている。
注1 「ヨーロッパからアメリカへ」光吉夏弥『月刊絵本』一九七五年十二月号、すばる書房収録。
注2 ウンゲラーの全体像については、「私説トミー・アンゲラー」中川正文『絵本の世界』一九七三年十一月号、らくだ出版に詳しい。
※Ungerer, Tomi(1931〜)
Crictor(1958. へびのクリクター,中野完二訳)Emille('60. 今江祥智訳)The Three Robbers('62. すてきな三人ぐみ,今江祥智訳,偕成社)Orlando('66. はげたかオルランドはとぶ,今江祥智訳)Zeralda's Ogre('67. ゼラルダと人喰い鬼,田村隆一訳)Moon Man('67. 月おとこ,田村,麻生訳,評論社)Hat('70. ぼうし,田村訳)The Beast of Monsieur Racine('71)No Kiss for Mothers('73. キスなんてだいきらい,矢川澄子訳)Allumette('74)以上版元名のないのはすべて文化出版局。
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