『子どもが扉をあけるとき・文学論』(松田司郎:著 五柳書院 1985)

『100万回生きたねこ』佐野 洋子

 佐野洋子の一連の絵本を見て、「執着から放棄という内面の回心をモチーフにしている」といった人がいて、なるほどと思わされたが、どうも佐野の絵本はマジメに考えさすタチのものではなさそうだ。
『100万回生きたねこ』を見ていると、へっ回心だなんてちゃんちゃらおかしいやと、主人公のとらねこににらまれそうである。だが、どっこい本当は読者の方が一枚上手になるように計算されているのが佐野絵本の魅力である。私たちは最後のページを閉じると、「けっ、なんたるねこ!」といって、一笑に付せばいい。ただそれだけのことである。
 だが、ただそれだけの快感を約束してくれる絵本は、ざらにはない。彼女の絵本は、絵も文もがんばっているのである。意地をはっているのである。いやいや、もっといい言葉でいえば〈精神の活性〉を失っていないのである。私たちは本質的にたくましいエゴイズムを内に秘め、何事も自分の都合のいいように考え、行動したがる。だが、そうやってがんばりとおしたあとで、妙にしらけたむなしさを覚えるのも事実ではなかろうか。
 佐野絵本は、そのむなしさを足蹴にし、一笑に付して、ポイとどぶの中に捨てる活力に満ちている。これはタテマエにすがる大人たちより、しなやかな意地をもつ子どもたちの感性により近いものであろう。
 活性だとか活力とか言えば、なんだか荒々しい世界のように聞こえるが、ほえつく犬ほど大したことはないように、佐野絵本は静かにすましてさりげなくやってみせるのである。「あたし、猫、きらいなの」とキッパリ言う佐野が、なぜネコばかり描くのかに答えて、「人間と人間でやるとすごく生々しくなる」「それからカタチとして、犬よりもそりゃ、きれいなカタチしてるってことぐらいかしら」(注)と言っているのは興味ぶかい。彼女が、絵本というメディアを選んだのも、余分なものを払拭し、ろ過し、昇華して、より本質(自己)に近づきたいためではなかろうか。
「絵本の旅」であるからには、せめてあらすじの紹介をと思ったが、彼女の魅力にうたれて、珍しく生々しく意地をはって吠えてしまった。まあ、とにかくページを開いてみてください。絵本というのは、子どもだけに読ませるのはモッタイナイのですぞ。

『100万回生きたねこ』は第8回講談社出版文化賞絵本賞受賞。
(注)「Messin' with the kid.」(インタビュアー、長谷川集平)『月刊絵本』一九七八年四月号、すばる書房、収録。
※主な作品――『すーちゃんとねこ』(一九七三、こぐま社)『おじさんのかさ』(七四、銀河社)『だってだってのおばあさん』(七五、フレーベル館)『わたしのぼうし』(七六、ポプラ社)『おれはねこだぜ』(七七、偕成社)最近は文章にも一層みがきがかかり、「あそばない」(『飛ぶ教室』一九八三年八号、光村図書収録)は秀逸である。単行本に、『私の猫たち許してほしい』(八〇、リブロポート)、『わたしが妹だったとき』(八二、偕成社)『ほんの豚ですが』(八三、白泉社)などがある。


『ふしぎなえ』安野 光雅

 安野光雅ほど絵本の可能性を拡げた作家はいないのではなかろうか。今でこそ絵本をメディア(表現媒体)として捉える動きが確立されていると思うが、「絵本というものは、美しい絵と美しい文字によって、科学あるいは芸術の美しい世界にすなおにはいりこんでいけるしかけになっているはずのもの」(注)だと与え手側も受け手側も信じていた時代での『ふしぎなえ』(一九六八・三)の登場はかなり衝撃的であったと思われる。
 この絵本から無限のおもしろさを引き出し、首ったけで楽しんだのは大多数の子どもたちとごく少数の大人だったらしい。これは、子どもの頭が大人より柔軟だからというより《楽しさ》というものが決して慰安ではなく、本質的に既成概念を突き崩していく方向、つまりは遊びの精神に存在することを証明してくれたのではなかろうか。
 周知のように、安野はエッシャーの世界に魅せられ、それを自分流に消化し、再創造した。三次元のものを二次元に置きかえ、さらに重力のない二次元の世界を三次元に置きかえなおしていく。高さや奥ゆきや同一平面の転移によって、(例えば第三画面の上がり下がりする階段が最も明確だが)不思議な存在感を与え、新鮮な異相の境地にわけ入らせ、ついついおもしろくって何度も眺めてみたくなるのだ。
 処女作の『ふしぎなえ』のあと『さかさま』(一九六九、十一)『ふしぎなさーかす』(一九七一、七)とへんてこりんな絵本が続くが、最も結晶度が高いのは日米英で同時出版された『ABCの本』(一九七四、一〇)ではなかろうか。安野作品は外国での賞は数え切れないほどだが、この絵本で日本人として初めて伝統的なイギリスのケイト・グリナウェイ賞推薦になった。日本人離れした画風を高く評価する人もいるが、やはり絵そのものより安野の創造世界の深さにあるのではなかろうか。
『旅の絵本』シリーズでは、文字なしのストリー世界を丹念に描いていく。旅人の目を追う安野の世界は、もの哀しさの底に生きているゆとり、遊びののびやかさのようなものを感じさせて、ほのぼのした気持ちにさせられる。

(注)『ふしぎなえ』について――安野光雅、『月刊絵本』一九七六・八月号、すばる書房。
※主な絵本――『ふしぎなえ』(一九六八)『さかさま』(六九、以上福音館、ブルックリン美術館賞)『ABCの本』(七四、福音館、芸術選奨文部大臣新人賞)『かぞえてみよう』(七五、講談社、講談社出版文化賞)『あいうえおの本』(七六、福音館、BIBゴールデンアップル賞)『野の花と小人たち』(七六、岩崎書店、小学館絵画賞)『旅の絵本1〜』(七七〜、福音館)『10人のゆかいなひっこし』(八一、童話屋)『ニュールンベルグの道画師』(八二、岩崎美術社)


『かいぶつになっちゃった』木村 泰子

『たべちゃうぞ』でデビューした木村泰子の世界は、ぼくの浅すぎる絵本歴の中では特異なものであった。
 まずその絵であるが、犬もどき、猫もどき、鳥もどき、魚もどきのキャラクターがぞくぞくと登場する。これらどこか空とぼけていて奇妙キテレツな生きものに一目でも合うと、ふいにとまどってしまう。いわゆるメルヘン風なかわいさでもなく、民話風のグロテスクな妖怪でもない。頭にでんでん虫の触角のようなものや、古屋根のぺんぺん草のようなものをはやし、魚であって空をとび、鳥であって水中を泳ぐという、ひ弱な文明的センスを蹴とばすこれらのキャラクターは、実は木村泰子の描くお話の世界にわけ入っていくと、もうどうしてもこうでなくてはならないことが分かってくるのである。
 古屋敷に迷いこんだ小鳥が怪物を見て逃げかえり仲間に知らせる。みんな恐れおののき、どうせ食われるのなら自分たちが集まって負けないぐらい大きな怪物もどきになる。そして古屋敷に乗りこんで見つけたのはただのタケノコであった。だが一度集まって融合された怪物もどきは、もとに戻ることができなくなる。彼らは森をさまよいながら、やがて森の住人たちを襲いはじめる。
『かいぶつになっちゃった』のお話の世界は《民話》が下敷きになっているのだろう。だがここにある世界は《現代》そのものである。木村泰子はちょっぴりメルヘンっぽい造形と筋立ての底に現代人が追いつめられたエゴイズムとえせヒューマニズムを痛快に突いているのである。そしてそれは、子どもにも大人にも共通した世界である。
 木村泰子の絵本のキャラクターがかわいいという子どもたちがいる。かわいらしさというものが、視覚文化の与え手側がまるで共通認識のように最大公約数的に創り出す傾向の強い昨今、本当はまずそれぞれの〈個〉の内奥にそれぞれ音色のちがう響きあう感性があるのだということを証明してくれる貴重な絵本でもある。
 とはいえ『三丁目の夕日』などの劇画で著名な夫君西岸良平氏の描くほのぼのとした大らかさにもどこか通じるものを感じるのは、彼女が〈現代〉をハスに見下ろす鷹揚さをもっているからではなかろうか。

※主な作品――『食べちゃうぞ』(一九七三)『だいじなものがない』(七五、以上至光社)『まってるどりのしま』(七六、講談社)『かいぶつになっちゃった』(七五)『ぱっくんおおかみとおばけたち』(七七、以上ポプラ社)『ふしぎのくにのなかまたち』(七九、白泉社)


『いぐいぐいぐいぐ』梶山 俊夫

 あれはいつのことだったろう。梶山さんが『ごろはちだいみょうじん』を出された直後だったから、ひと昔以上前(一九六〇年代後半)の話だ。B社の初めての児童書企画で宮沢賢治をやることになった。「鹿踊りのはじまり」や「祭の晩」などの入った童話集のさし絵を決めるとき、ぼくは即座に梶山さんの絵が浮かんだ。他には、司修氏・田島征彦氏・瀬川康男氏らの絵が浮かんだ。いずれも抜群にうまい人たちである。賢治の絵としては茂田井武「セロひきのゴーシュ」を越えるものはでていない。だが、梶山さんのどろくさい絵に透明度が加わったらすごいものになるという直感があった。
 話が決まるとすぐ梶山さんはイーハトーヴォに(岩手県)とんだ。ぼくも大阪から夜行をのりついであとを追った。学生時代に山村を放浪して歩いた梶山さんは風のように飄々と歩きまわった。かしはばやしやなめとこ山や北上川を気が向けばスケッチしながら、休むことなくひたすら歩いた。はぐれたぼくがやっとめぐり会えたのは、いつも場末の居酒屋だった。酒の強い人だった。そして、自分だけの絵の世界をいつも見つめている人だった。
 梶山さんの絵は、ゆっくりと着実に変わってきた。ぼくの大好きな絵本『いぐいぐいぐいぐ』(一九七七)になると、透明度に目に見えない色調(色哀)が加わった。色であって色でない情念の世界である。娘に酒か油か分からないものを飲まされ、「いぐいぐいぐいぐ、ごじゃらばごじゃれ……」とおだてられて首を長くしてゆく三つ目は、ただ己れの世界を見つめて風のようにゆきすぎる梶山さんその人のような気がしてならない。哀しいというより、生きているゆとり、ま、楽しさ、情愛を透けて見させてくれる作品世界に脱帽してしまうのである。
「おかしくて、やがて哀しき」という世界は、梶山さんの心象風景である山村自然界(生きとし生けるものたちの大らかな暮らし)を抜きにしては考えられないだろう。
 一滴の地酒、いのちのぬくもり、一枚の手漉き和紙のため旅しながら、絵筆はひたすら心象風景を追う。風土記や和綴本の中から種をひろい、育て花を咲かせた絵本。地味でしぶいが、決して子どもの心を失っていない大らかな遊びの世界でもある。
 シェル美術賞(一九六二)講談社出版文化賞(七三)チェコ世界絵本原画展ゴールデンアップル賞(七三)小学館絵画賞(七四)と着実に評価されている。

※主な作品――『くじらのだいすけ』(一九六七)『ごろはちだいみょうじん』(六九、以上福音館)『いちにちにへんとおるバス』(七三、ひかりのくに)『あほろくの川だいこ』(七四、岩崎書店)/自作、自演に『いぐいぐいぐいぐ』(七七、フレーベル)『かやかやうま』(七八、童心社)『わが西山風土記』(七七〜八〇、四部作、冨山房)『画集、風景帖』(八〇、沖積舎)


『このひもは?』木曽 秀夫

 おかしなおじさんである。もじゃもじゃ頭の中には、アイディアの卵がいっぱいつまっているのか、次から次へとパチンと割れて出てくるのはまことに不思議である。そして痛快である。話を聞き出すと時の経つのを忘れてしまう。センス(常識)という厄介なしろものをすました顔で笑いとばし、ポイと丸めて屑かごに投げ捨てる愉快な人である。
「月刊絵本」(すばる書房)の『日本の絵本作家たち115人』(昭五三年十二月号)を見ると、自己紹介がわりにこう述べている。
 「スゴロクエモン氏のサイコロは、ただ真白の四角い箱で、一から六までの数のめが全然なく……、このへんてこな白い箱のサイコロを何回も何回もふっておりますと、あれふしぎ、そこにはいろいろなサイのめが……まじめ、ふまじめ、かなしいめ、たのしいめ、ひどいめ、おもしろいめ、とんでもないめ……などにあうのであります。」
 木曽氏は特異な個性の持ち主である。長年一コママンガの世界で遊んできただけあって、氏の発想は軽妙洒脱、洒落っけにあふれ、ありふれた一個の石ころでも、けっとばし、ふくらまし、ひっくりかえし、裏がえしているうちに、あれふしぎ、たちまち鳥になったり、リンゴになったりするのである。実におみごと! いやみごとにだまされたといった方がいいのかもしれない。『このひもは?』は、一本のひもがするすると伸びて、高速道路を疾走する車になったり、その車がいく台もの車をのりこえ、やがてビルをすぎ、恐竜の背中をすべり、車からおりた赤い帽子の男が山をのぼり、原始人にまじっていのししを追っかけ……、そうして走って走っていきつく先は毛糸玉であったという話である。最後のところで読者はひもがありふれた毛糸玉であったのを知らされるが、この作品のおもしろさは一筆描きのようにひもがいろいろな形になっていくところと、赤い帽子の男がひたすら走っていくところにある。『クレージー・カーボーイ』(モルディロ)の男も走りに走るが、最後は気球にのって月にいく。赤帽の男は、ありふれた毛糸玉にゆきあたるだけである。だが、ここにはありふれたものを土台にして、無限の可能性を具象化していく楽しさがある。同時にシャチホコばって、肩をはって歩いている現代人への痛快な諷刺があるも事実である。とにかく木曽氏は、日本の作家たちにはまれなナンセンスの描ける貴重な存在である。

※主な作品――『まる』(一九七五)『このひもは?』(七六)『ちゃっくのゆめ』(七八、以上文研出版)『かいじゅうぞろぞろ』(八〇、サンリード)『おかしなむしみーつけた』(八一、フレーベル)共作として『からからからが…』(七七、高田佳子文)『てんぐのはなかくし』(八三、さねとうあきら文、以上文研出版)


『い ち ご』新宮 晋

 絵本というメディア(表現媒体)は、一体何なのだろう。商品を造る編集者として、あるいは心躍らせて最初のページを開く読者として、多様な絵本に接しながら、このような想いがくっついてはなれない。絵本は映画とかミュージカルとか劇とかに非常に似通っているけれど、やっぱりちがう。展開とかめくりとかモンタージュとか、絵本メディアの特徴を並べてみても、本当は千の理論よりも一つの実践(作品)に出会うことを願っているのである。
 ブリッグスの『さむがりやのサンタ』やモルディロの『Crazy Cowboy』のときもそうだったが、新宮晋の『いちご』のときも少なからず驚かされた。
「全編これいちごへの頌(しょう)歌の観あるこの一冊を、開く前と閉じたあとでは、いちごを見る目がかわってしまうでしょう。未知の世界の発見という、絵本本来の役割の一つがあざやかに成就されています」と、今江祥智氏がカバーのそでで述べているが、《内質》もさることながら、表現方法において絵本メディアの特徴を最大限に生かしきったがための(つまり内質と外質の見事な合体)感動といえるかもしれない。
  私はいちごが大好きです。いちごは一口で食べられるほど小さいけれど大きな自然から生まれました。甘さも美しさもそしてきびしさもその中にあるのです。私が今まで訪ねたどの国でもおいしそうにいちごを食べている人たちを見かけました。この本をあの人たちにおくります。
 このイントロわ含めて、ネームはすべて五カ国語で示されている。いちごというものを通して、自然(大宇宙)の摂理へと謳歌するのに、日本語を越えたアルファベットは、視覚的にも広がりを抱かせる。色をおさえた表紙のいちご拡大図、生命の誕生を予知させる赤い灰色だけの場面を最初と最後にはさみ、自然の永遠性を暗示させ、冬(眠り)の時代から春(めざめ)へと色と線の強さに変化をもたせ、実を結び色(豊沃)を映す瞬間にいちめんの緋(あけ)の色でぬりつぶして、夕焼けという自然のドラマをダブらせ、最終近いクライマックスではネームを消し、いちごの形と重さを大宇宙の中の星として浮かせる――これらの手法は正直いってこころにくいほど絵本的である。つまり流れ(めくり)があり、くりかえし(展開)がある。
 とにかく説明よりも手にとって開いて欲しい《絵本》である。

※作品は、『いちご』(一九七四)『くも』(七五、以上文化出版局)なお、新宮晋(すすむ)は、自然エネルギーで動く彫刻を作る芸術家として国際的に活躍しており、『いちご』は彼が生まれてはじめて作った絵本である。


『多 毛 留』米倉斉加年

 もうずい分前のことになるが、ある友人の画家に米倉氏のアングラ出版の画集を見せてもらったことがあった。それは恐ろしく長い陰茎を身体にまきつけてもてあましている男だとか、少女とハゲ頭のでぶ男がからんでいるというような絵で、人間存在への痛烈なパロディだったと思うが、そのとき受けた名状しがたい不思議な陶酔感のことは今でも忘れることができない。絵そのもの、あるいは絵が主張しようとしているものを眺めわたすよりも何よりも、するすると伸びる線ののびやかさ、鋭さにまずまいったのだと思う。まるで針かカミソリの刃先で、皮一枚残して人間の《感性》を、琴線のふるえるままにありうる限りかすかに細くなぞったような戦慄感にあふれていた。
 米倉斉加年は、ご存知劇団民芸の看板役者であり、舞台、映画、テレビで活躍し、また多方面に造詣が深いが、イラストレーターとしても本の装丁、挿絵など幅広くてがけている。彼が絵本に情熱を燃やすのは、野坂昭如・文の『マッチ売りの少女』(大和書房)がはじめてであったと思うが、次作の奥田継夫・文の『魔法おしえます』(偕成社)、さらに、自作自演の『多毛留』(偕成社)になると彼の特長の線の流れが存分に発揮されている。ただ紙質のよさやドローイングのカラーの部分があまりに美しすぎて、こっそり開いてみたザラ紙のようなものに刷られたあのゾクッとする戦慄感はうすい。だとしても、これは異郷の人間との交わりと別れを土台に、人間の原罪と贖罪を凍るような血の底から謳い上げた『多毛留』の作品世界を想うと、まことに見事な表現方法と認めざるをえない。
 民話や神話の世界というものは、暗黙のうちに土俗のにおいやメルヘンっぽいぬくもりを共通項のように受け取りがちだが、『多毛留』はかつて累積されたどんな民話・神話っぽい絵本よりも今日的で新鮮である。
 それについては絵(視覚的表現)をひっぱりこむコトバ(内的表現)の世界を眺望しなければならないが、「阿羅志はいつもひとりで海へ出た/遠くの方ばじっとみつめて……」の父と「それからの多毛留は遠くの方ばじっと見るようになったげな」の子、序章と終章のこの二人の《男》の意味を悟るには、小さな読者には酷にすぎるかもしれない。
『多毛留』は前年(一九七六)の『魔法おしえます』につづいて、第一四回ボローニア国際児童図書展で二年連続グラフィツク大賞を受賞した。

※主な作品――『マッチ売りの少女』(一九七三)『魔法おしえます』(七五)『多毛留』(七六)『人魚物語』(七八、角川書店)『おとなになれなかった弟たちに』(一九八三、偕成社)/イラストとして夢野久作シリーズ(角川書店)の表紙画や『象は死刑』(大和書房)がある。

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