『横谷輝児童文学論集1』(横谷輝 偕成社 1974.08.14)
第二節 児童文学の「成熟」
(1)
なにかの拍子に、児童文学あるいは児童文学作家にとって、成熟とはなんなのかという思いが、頭をかすめることがある。
これまで、そうした思いの意味するものを、それほど意識的に考えたことはない。ただ漠然と常識的に、成熟することは、完全な人間として円熟すること、あるいは人生社会にたいする認識が深まり、その本質的なものを総合的に判断しうるようになることだという程度にしか考えていなかった。
だが、このごろになって、この問題を自分のなっとくのいくように追求してみるべきだと思うようになった。
そのきっかけのひとつは、わたしがもうすでに若くはなく、今後の方向をそれなりに見定めるときにきているということである。
しかし、それ以上にこの問いかけを、わたしに強いたものは、児童文学あるいは児童文学者の成熟が、結果において児童文学という領域からはみだしていくことになるのではないかという、児童文学そのものにかかわる疑問を抱いたことである。
それにいまひとつは、戦後二十年の児童文学を見わたして、そこに断片的に輝く作品はいくつか指摘することができても、ある持続した主題が一貫して追求されているような作家なり作品を見いだすことがほとんどできないという現象の底にあるものを、さぐってみたいと考えたからである。
ところで、ある児童文学作家と雑談していたとき、その作家の口から「児童文学は青春の文学ではないか」という仮説をきいたことがある。
その理由として、児童文学の読者である子どもは本来的に行動的な存在であり、その子どもを十分興味をもってひきつけるためには、児童文学もそれに応えるだけのバイタリティーやダイナミックな要素がなければならない。
そうした作品が創造されるためには、作家の側にも生命力があふれ、動的な緊張関係を持続するだけの若さやエネルギーがなければならない。それがなくなったところで、子どもの興味をひきつけるような作品をかきあげることは、しょせんムリな仕事ではないかといったことがあげられていた。
もちろん、これは科学的な根拠のもとにうちたてられた仮説ではない。いわば雑談的にでたその作家なりの思いである。したがって、この仮説に反論を加えることもいとたやすいことであろう。
たとえば、いくら年齢的な若さがなくなったとしても、その年齢に応じた新しい感情をもって創造すればそれは、若さや誤解や未熟さの危険をもちやすい、青春の文学よりも、より児童文学にとってふさわしいものがかけるのではないか、といったぐあいにである。
現にこの「児童文学は青春の文学である」という仮説とは正反対の立場からする、「児童文学は四十歳をすぎてからかくべき文学である」という主張もある。
つまりこの説をささえている思考は、児童文学は子どものためであるから、人生や社会にたいする、ものの見方や考え方が、できるだけ定着し、成熟していることがなによりものぞましいという、どちらかというと教育的配慮の立場にたつものであろう。
このような論議は、詩についてもおこなわれている。
参考までに引用してみると、「詩は青春の文学である」という立場にたつ関根弘は、つぎのようにいう。
「結論から先にいえば、詩はしょせん青春の文学だということだ。詩は、中年、あるいは老年の文学として存在することは難しいのだ。これについては、多くの異論がでてくるにちがいないが、わたしは具体的な例を挙げてこれを証明できる。たとえば、ランボオは十九歳にして終ったが、詩は本質的にそういうものなのだ。老成した詩なんてものは、もはや詩ではない他のものだ。詩は燃焼であり、方法論だけでつくりだせるものではない」(詩論1958年『青春の文学』三一書房)。
こうした説にたいして、リルケのような立場からの主張もある。
「僕は詩をいくつも書いた。しかし年少にて詩を書くほど、およそ無意味なことはない。詩はいつまでも根気よく待たねばならぬのだ。人は一生かかって、しかも出来れば七十年或は八十年かかって、まず蜂のように蜜と意味をあつめねばならぬ。そうしてやっと最後におそらくわずか十行の立派な詩がかけるだろう。詩は人の考えるように感情ではない。詩がもし感情だったら年少にしてすでにあまりあるほど持っていなければならぬ。詩はほんとうは経験なのだ」(『マルテの手記』大山定一訳)。
これらの主張にしたがえば、前者では詩はその詩人にとって初期の作品を越えることがなく、成熟ということはありえないということになり、後者では詩は経験をえた老人ほど立派な作品がかけるということになる。
だが、こうした主張の真意はけっして、そのような極端なことをいおうとしたのではないと思っていいだろう。要は詩の本質のどこにコミットするかによって生じる、芸術認識の差異である。
話を児童文学にもどして考えれば、「児童文学が青春の文学」であるか「四十をすぎてからの中年あるいは老年文学」であるかといった、二者択一的な考えをわたしはとらない。
いうならば、そのいずれも必要なわけである。これはけっして二つを足して二で割る式の折衷案ではない。
感覚の燃焼と、さめた認識にもとづいた方法の統一なくしては、真の文学作品の成立はありえないということなのである。もちろん、成熟もこの統一の観点をはずして考えることはできない。
しかし、これは抽象的な論議のうえでいえることであって、実際にはどうか。
(2)
「歳をとるとどう云うことなのでしょうか、人生が解ったような気がしてくるようです。去年のことです。昔の友達から手紙がきました。
――老来ボクは、頭がますます明晰になって来て、近頃論文がいくらでも書けるようです。
これを読むと、私も返事を書きました。
――ボクも、そうなんです。頭が明晰になって来て、人生がわり切れるようになりました。一刀両断です。即ち人は生れて、生きて、死ぬ。生きている間は、人類の繁栄につとめる。これが人類を構成している分子としての人間のつとめと言うわけです。何とも素朴な考え方で一足す一は二と言うようなものですが、こう考えまとめるのに、何と、生まれてから、七十年の月日がかかりました。あなたには、おかしいかも知れません。ま、これが人生です。」
これは「新潮」昭和四十一年五月号に発表された、坪田譲治の『橋』という作品の冒頭の部分である。もちろんこの作品は児童文学としてかかれたものではない。にもかかわらず、ここに引用したのは、この部分的な文章のなかに、作家の成熟というもののひとつのタイプが、かなりよくあらわれていると感じたからである。
坪田譲治の近作は、『賢い孫と愚かな老人』に収録されている諸短編をはじめ、そのすべてがながい人生経験を経てきたすえにつかんだ、成熟の所産だといっていいだろう。
こうした傾向について、平野謙は昭和三十八年の毎日新聞の文芸時評で、『もののはずみ』(「新潮」)という作品にふれながらつぎのようにいっている。
「この作者はこの作者なりの老年を確実に所有しつつあるようだ」と。
たしかに前述の部分的な文章にも、老境に達した人間の平凡であるが動かしがたい、人間あるいは人生についての、真実を、それなりに手中にしえた人の感慨がにじみでている。
わたしは、このような成熟の境地を、たとえば平塚武二や与田準一の短編にも見いだすことができるように思う。
平塚武二に『春のこもりうた』(『ながれぼし』実業之日本社)という作品がある。
春になって、てんじょううらのネズミが、子どもをうんだ。おかあさんネズミはその子どものために、こもりうたをうたう。そのこえをきいたネコは、本能的にあしのつめをたてるが、赤んぼうに乳をのませていたためにつめをひっこめてしまう。
そのいえのまどの下には、イヌがいて、とだなのなかにいるネコのにおいをかぎつけてうなるが、やがてほえるのをやめてしまう。そのイヌのなかにも、まだうまれないあかちゃんイヌがいたからである。
ねべやでは、おかあさんが「春のばんは、ほんとうにしずかだこと。木やくさのめが、のびるおとまできこえそうだわ。どこかとおくで、たれか、こもりうたをうたっているような・・・・。」
といって、そばにてねているあかちゃんに、こもりうたをうたってきかせるというはなしである。
この作品は原稿用紙にして、わずか三、四枚の掌編童話であり、そこに話らしい話があるわけではない。だがそこには、圧縮されて濃密なものになったあるものが、たしかに存在している。そのあるものをどう感じどうとらえるかは、読む人の角度によってさまざまであろう。つまりそれを許すだけのものが、この短い作品のなかにこめられているということである。
常識的な解釈にしたがえば、春の夜の動物に仮託して平和を象徴的に描こうとしたものだともいえるが、たとえば「これこそ、ホントウの童話で、童話のシンズイだと私は思うのでした。いや、これこそ、地上天国というのでしょうか」(坪田譲治『童話の本を読んで』<「びわの実学校」十五号所収>)という鑑賞も可能である。
また与田準一に『かれ葉の道のゆびきりゲンマン』という作品がある。
善ちゃんと真ちゃんという二人の友達が学校のかえり道、クリの林をとおっていて、まだおちないクリのかれ葉をみつけ、真ちゃんは「クリの木のかれ葉は、かれ葉のじいさん」という。そして善ちゃんにむかって、「大きくなったら、なにになるんだ?」ときく。それをきいた善ちゃんは、「きまってらあい、なにかになるさあ」といって、大声をあげてかけだす。
わかれ道まできたとき二人は大きくなったら、クリの花のさいているところのこの道でまたあおうと、ゆびきりしてわかれるというはなしである。
この作品も、原稿用紙にして五、六枚の短編で、とくに目立った特色のあるものではない。しかし、ここにもある時間を経てこなければ、見いだすことのできない視点の設定がある。いいかえれば、人生というものを見つめる成熟した目がそこには感じられるということである。
いつまでものこっているクリの木のかれ葉の発見と、大きくなったらまたあおうといってゆびきりする二人の子どもの姿に、作者の人生に対する思いや人間認識をうかがうことができるのである。
これらの二つの作品にみられる人間の人生にたいする認識の成熟は、さきにあげた坪田譲治のそれと、けっして異質のものではない。その表現の形式こそちがえ、ほぼ同質のものであるといっていいだろう。
わたしは、このような児童文学の成熟なり、人生にたいする認識の成熟に、大きな興味と関心をもつ。いやむしろある意味では消しがたい魅力を感じているといってもいい。
しかし、問題はこの成熟が、児童文学にとってなにを意味するのかということであろう。
(3)
あらゆる文学世代は、その出発点においてたてられた理念の実現にむかって成熟していくといわれている。
その意味で、坪田譲治、平塚武二、与田準一の成熟の意味するものをとらえるためには、その出発点にまでさかのぼってあきらかにされなければならないだろう。だがいまはその準備も余裕もない。
したがってここではごく一般的なところで、問題をおさえていくことでこのことを考えてみたいと思う。
ところで前述の作家たちが抱いた理念が、児童文学というある意味でせまい枠のなかにとじこもったところに成立したものではない、もっと幅の広い、いわゆる「文学」というものを目ざしたところのものであったことはいまさらくどくどしく説明するまでもないことだと思われるが、たとえその理念がどのような質のものであったとしても、その理念はその時代の歴史的制約からまぬがれることはできない。つまり、このことを、別のことばで表現すれば、どのような成熟もなにか切りすてることによってしか実現することはできないということである。
なんらかの、犠牲、喪失を代償としてのみ、成熟という理想を手中にすることができる。これは成熟というもののもつ宿命である。
卑近な例として、早熟ということがある。天才的な作家や詩人にたいして、あるいはすぐれた才能をもちながら若くして死んだ芸術家などについて、よくつかわれることばである。
伊藤整は、かつて石川啄木について、ほかの人が四十すぎてからやれるところの仕事を、啄木は二十六歳でやってしまったという意味のことをいった。
このことばはいうまでもなく、石川啄木の早熟を語っている。そしておそらくは、そうした早熟は夭折という犠牲のうえで、完結しているのである。あるいは『地獄の季節』を残して詩からはなれていったランボオも、早熟の犠牲といっていえないことはない。ともあれ、あまりに早く成熟するということは、結果において晩年の不幸という代償を支払うことだという逆説がなりたつ。
だが、こうした事例は、いまのさしあたっての問題ではない。
わたしの関心は、児童文学における成熟が、どのようなプラス・マイナスをもたらすかということである。
児童文学において、作家がながい人生経験からえた人間認識あるいは社会現実についての認識を、円熟したかたちで芸術的に表現し、伝達することは、それを読みとる子どもにとって大きな意義をもつ。その作家の体得し、血肉化したところの真実は、子どもをなんらかのかたちでつき動かさずにはいないだろうことは多言を要しないことであろう。
だがわたしはそうした成熟が、外界のいっさいの現象から切りはなされることによってえられる場合が多いことにある一種のおそれのようなものを感じる。
ゲーテは「老齢とは現象から次第に引くことだ」といったという。この現象からの断絶を犠牲にして、あるいは現象への関心の喪失を代償にして、成熟というものがとらえられるとしたら、その成熟とは児童文学の読者にとってなになのかという疑問がのこるのである。
もちろん、坪田、平塚、与田といった人びとの成熟がいっさいの外界とのかかわりなしにおこなわれたということをここでいおうとしているのではない。そんなことは厳密にはありえないことだとしても、「現象から次第に引き退く」という心境と、さきにあげたような作品がなんらかのかかわりをもっているということは否定することのできない事実だと思う。
掌編童話という表現形式上の制約も当然考慮に入れなければならないだろうが、あのような「童話のシンズイ」といわれる作品が、不必要な現象を切りすてたところでかかれているとき、否応なく現象的なものにかかずらって成長していくしかない子どもに、どのような関心と興味をよびおこすだろうか。
ここにわたしの感じるひとつの困惑がある。
なかには「<書いてある部分>をとおして、<書かれてない部分>にまで想像をはたらかせて読後の感想をよせてくれた小中学生の読者たち」(与田準一『クミの絵のてんらん会』あとがき)はいるにちがいない。そして、「童話のシンズイ」といった作品をほんとうに読みこなす読者が、あまり数多くいるということは、むしろ異常な状態だといっていいだろう。
だが、このことに関連して、いまひとつのわたしの抱く困惑は「現象から次第に引き退くこと」によって生まれてきた作品が、もたらすところのものについてである。
考えてみれば、さきにあげた坪田譲治の「ま、これが人生です」ということばは、おそろしいことばである。なぜなら、これはすでに人生の終末の日を見通してしまったところに生まれてきたものにちがいないからである。人間はいずれは死ぬものであり、それまでの生の実質をなしている、仕事や金銭や地位やセックスや政治も、しょせんなにほどの意味をもつのではないという認識がそこにはかくされている。
これはすでにのべたように、児童文学としてかかれたものでないため、それをそのまま児童文学の問題と直結して考えることは必ずしも妥当だとは思わないが、それをあえて無視していえばこうした認識は、あきらかに子どもや青年あるいは、壮年の認識と対立する。
十歳の子どもの前にあるものは、ばら色に色どられた「未来」の時間があるのみである。そこでは前述への希望によって生きている生命だけがある。
だが、十歳の子どもにも、やがては死が訪れる。それはまぬがれることはできない。われわれとておなじことである。どのような人間であれ、いつかは「時間」というものに気づくときがやってくるのだ。
この「時間」の認識を、そのまま児童文学作品のなかに持ち込んでは、おそらく児童文学作品として成立することはできないだろう。
しかし、われわれは否応なく、この「時間」の認識をもって、児童文学作品をかかざるをえなくなるのである。
いうならば、こうした「生」と「死」の認識をどう調和させるのか、ここにこそ児童文学作家の成熟の問題があるといえるだろう。このことはまた、そのまま中年以後の児童文学作家の課題につながっていくはずである。
(4)
いまわたしの内部には、この問題についての明確な解答の用意はない。
ただ、まずいえることは、どこまでも現象とのかかわりを失いたくないということである。「現象から次第に引き退く」老齢になって、しかもなお自然への回帰や外界との交渉を断絶せずにいることは、いうほど生やさしいことではないだろう。
だがこの外界との緊張関係を喪失することは、とりもなおさず作家の生命である想像力の衰弱を意味する。
そのためには、なによりも現象のなかに問題をみつけだし、それを問いつづけることである。この問いの持続こそ、いわゆる主題の一貫性というものであろう。
しかし、この主題の一貫した追求は、今日きわめて困難な課題であり、しかもそうした試みは必然的に文学の成熟をむずかしくする。
だれの分類であったかはわすれたが、日本では「過程の文学」と「調和の文学」の系列がありつねに「調和の文学」が尊重され、「過程の文学」はなかなか評価されないという主張がおこなわれたことがあった。現実への一貫した問いつづけは、どうしてもこの「過程の文学」になりやすいと思われる。
だが、わたしはそうした試みが、たとえば成熟するプロセスをふまなくても、またその問いつづけの結果が、児童文学の範疇をとびこえたとしても、それはそれでいいのではないかといまの段階では考えている。
いうまでもないことであるが、成熟とはけっしてものわかりのよくなることではない。また右と左のものをあるいは内と外とのものを妥協的に調和させることでもない。まして人間とはしょせんむなしいものであり、無意味なものとして一種の諦念の域に達することでもないと思う。つまりは、安易な人間や人生についての決定論は、成熟というものと、正反対のところに位置するものであることを確認する必要がある。
わたしにとって成熟とは、結局現実への肉迫を持続することによって、一貫した主題を深化していく過程である。それはあるひとつのできあがった完成した世界ではない。その深化は「現実」あるいは「他者」と「自分」との動的な関係のなかでのみそれは可能であって、「自分」だけの問題を受動的に追求するところからけっして生まれてこないものである。
いまひとつ成熟の問題と関連して留意したいことは、この成熟がともすれば情報主義と結びつき、結果において保守的なものにおわってしまうということについてである。
さきに引用した文章のなかで、関根弘は「老成した詩なんてものは、もはや詩ではない他のものだ。詩は燃焼であり、方法論だけでつくりだせるものではない」といっているが、詩と児童文学はかつて共通した項が多分にあった。だが現在ではかなりの質的変化が生じている。
老成した児童文学があっていいし、燃焼だけですぐれて散文的な児童文学作品をかくことは不可能である。
そこには当然、方法論がなければならない。
しかし、現代の日本の社会のなかで成熟していくということは、ともすればこの「燃焼」と「方法」、いいかえれば「感受性」と「観念」のきびしい相剋のなかで熟していくのではなく、「観念」にたいする「感受性」の優位というかたちでおこなわれることが多い。
つまり、それは「観念」によって「感受性」がゆがめられるという青年期の特質の逆なかたちをとってあらわれるわけである。
最近の思想潮流として、こうした感受性や情感をもっと自信をもって回復しようという動きがつよくでている。
人間の始源としての情感、情緒というものが、現代社会にたいするひとつの批判的役割をもつことはそれなりに認めるが、それがともすれば自然への回帰や事実への素朴な没入におちこんでしまう危険も十分に認識しなければならない。
この問題は大きくいえば、日本の思想の本質的な課題で、歴史や社会、人間の現象を論理によって客観的にとらえようとする「科学主義」と、それを人間の情緒や共感によって主体的にとらえようとする「文学主義」の対立にまでおよんでいかざるをえないが、いまここで、わたしが強調したいことは、作家としての成熟が一種の「確信」と「単純化」によってだけ、定着されることの危険さを認識してほしいということである。
ある情感によってうらづけられた確信をもって人間なり現実なりを、これこれであると単純化してとらえることは、人にあたえる印象もつよく、魅力的なことである。だがそうした成熟は結局せまい世界にとじこもることであって、わたしには賛成できない。
おなじことをくりかえすようだが、わたしがのぞむ成熟とは、現代と深くかかわり、現実の問題をすこしでも切り開いていくなかで定着していくようなものでありたいと考えている。
(「童話」昭和四十一年六月号掲載)テキストファイル化塩野裕子