二、五郎



 その検討作業の第一歩として、まずは五郎のその「精神」を彼と令子の離別の物語の中に位置づけて考えてみたい。視聴者にとっては半ば自明のものとして初めからそこにあるかの感もある「価値」だが、一人の登場人物としての五郎がそれを体現するに至るには、やはりそれなりの物語が必要だからである。前にも述べたように、五郎はもともと麓郷の貧しい農家の出身であり、少年時代に生家を飛び出して以来およそ二〇年の歳月を東京ですごしている。その年月の間に、東京に代表される「現代の風潮を批判し、拒絶しようとする意識」が彼の内に知らず知らずに形成されたのであろうことは想像にかたくない。しかし、その意識が彼以外の他人にも容易に認知される「精神」にまで高まるを得るには、まず彼の中にそれを誰かに「伝えたい」という欲求が生じなければならない。
 五郎と令子の離別から始まるこのドラマは、五郎がその二〇年の歳月を東京でどのように過ごしてきたのかについては、ほとんど語ろうとしない。何人かの登場人物のセリフの断片からかろうじて視聴者に知らされるのは、彼がいくつかの職業を転々とした後、都内のガソリン・スタンドに勤めるようになったこと。そのガソリン・スタンドの隣にあった美容院で働いていた令子と知り合って結婚したこと。やがて純と螢が生まれたが、子どもたちの養育は妻まかせであったこと。夫婦が破局を迎えた時点で、令子は自分の店を持つに至っていたが、五郎は依然としてスタンドの従業員であったこと。破局の直接の原因は令子の不倫にあったこと。その令子は不倫が発覚すると家を出て行ったこと−−ぐらいである。だが、この切れ切れの物語は、切れ切れであるだけに、かえってドラマの開始時点における彼のありようを疑問の余地なく明確に規定している。つまり五郎は、一人の職業人としても、父親としても、夫としても、この時点で完全に行き詰まっていたということである。
 その五郎が妻との離別を機に東京を離れ、子どもたちと郷里に戻る決心をする。子どもたちを手放すことをしぶる令子に、五郎はそれを「これまでずっと−−おやじとしてあいつらに」「何一つしてやっていない」(前24)自分を反省した結果の決断であると説明し、また別のところでは、「いずれ、あいつらがおとなになったらーーイヤーー二年でもいい、一年でもいいーー時期がきたらあいつらにーー自分の道は自分でえらばせたい。ただーー」「その前にオレは、あいつらにきちんとーーこういう暮らし方も体験させたい」「東京とはちがうここの暮らし方をだ」「それはーー」「ためになるとオレは思ってる」(前214)と、麓郷での暮らしの意義を熱心に説いてもいる。いずれの場合も、自分が郷里に戻る決心をしたのは一重に子どもたちの教育のためである、と言っているわけだが、恐らくこの説明は彼の真の動機の片側だけをしか語ってはいない。右に述べたように、五郎は自分の全存在を問い返さざるを得ないような大きな挫折を味わった直後である。そのような立場の人間がたとえ何を決心しようと、それはまず、自分自身の立ち直りを図るためのものであると解釈するのが妥当ではないか。
 学歴もなく身につけた技術もなく、年齢もすでに四〇歳をすぎた五郎が、今さら職業を変えて成功する可能性は極めて低い。同様に、令子以外の女性と新たな家庭を築いて行くチャンスもそう簡単にあるとは思われない。だが、令子が家を出て行ったことによって、子どもたちはとりあえず彼の手元に残った。その子どもたちは、それまで母の方によりなついていたとはいえ、決して父を嫌っているわけではいない。となれば、その子どもたちの良き親になることに今後の自分を賭けることこそが、彼に残されたほとんど唯一の再生の道なのではないか。けれども、そのまま東京に暮らし続けたのでは、彼はとうてい子どもたちの良き親になることはできない。令子との離別という枠組の中で彼が子どもたちの良き親になるとは、とりもなおさず令子以上の良き親になる、という意味にほかならないわけだが、東京での暮らしに役立つようなことを自分が何ひとつ子どもたちに教えられないことは、彼自身が誰よりもよく知っている。彼が自信をもって子どもたちに教えることのできるものは、彼が東京に出るまでの歳月を過ごした麓郷にしかない。だから彼は、子どもたちを連れて麓郷に帰るのではないのだ ろうかる。
 だが一方、それとはまた別の見方もできる。そもそも、これと言って打ち込める仕事もなく、都会のライフスタイルにも溶けこめない状態にありながら、それでも五郎が東京に暮らし続けてきたのは、そこに家庭があったからに違いなく、その家庭が崩壊した以上、彼が東京に住み続ける理由は何もない。従って、令子との離別が決定的になった時点で、いずれにしても彼は郷里に戻る展開になったはずであり、実際にも彼は、「もしも、私たちがいなくなっても、父さんここで一人で暮らした?」(前29)という螢の問いかけに対して肯定的な答を返している。けれども、その郷里は彼が一度は捨てた土地であり、しかも、彼が家出をした直後には両親が夜逃げ同然に離村して行ったという経過もある。彼が卑屈にならずに帰郷を果たすためには、何か特別な理由が必要となる。だから、彼は子どもたちを連れて行くのである−−とまでは言わないが、少なくとも、その方が彼にとって好都合なのは確かなことであろう。
 いずれにしても、麓郷での少年時代の体験と二人の子どもたち−−それは、すべてを失った五郎の手元にかろうじて残った、たった二つのものであり、彼がどん底から這い上がれるかどうかは、この二つを最大限に活かすことができるかどうかにかかっていた、と言っても決して過言ではない。
 そして実際、五郎はこの二つに持てる力のすべてを投入する。子どもたちの良き親であるために、彼はまず職業人としての人生を完全に捨て去る。麓郷には、たとえ十分ではないにせよ、かつて彼と彼の両親の生活を支えてきたはずの農地が今もあり、喜んで手を差しのべてくれようとする親戚や幼なじみも大勢いる。従って、彼が一人の農夫として再出発を図ることはそれほど困難ではなかったと思われるのに、彼は敢えて幼なじみの経営する豚舎に雇われ、農作業はほんの片手間にしか行わない。また、彼は一時的にではあるが、男としての生活も完全に放棄する。ドラマの後半部分で五郎は富良野のスナックに勤めるこごみと情事を持つが、それは令子が彼に子どもたちの親権を委ねることに同意し、正式に離婚の手続きがすんだ後のことである。
 同時に、彼は再出発にあたって、少年時代に身につけた知恵と知識を最大限に活かすことのできる暮らしを、実に的確に選びとった。水道もガスも電気もない生家での暮らし−−それは彼の少年時代そのままの暮らしであり、彼がそこから得たものを一つも無駄にすることなく、そっくり子どもたちに伝えることのできる暮らしである。加えて、さらに穿った見方をするなら、水道もガスも電気も電話もある今の麓郷にではなく、二〇年前の昔の麓郷に戻ることで、彼は自分に何の実りももたらしてくれなかったその二〇年間を、意識の底で、無化しようとしているのではないか。
 いずれにしても、倉本のシナリオは、このドラマにおいて具体的にはほとんど映像化されることのない麓郷時代の五郎のありようと、その後の東京時代の彼のありようとを、苛酷なまでに差別化することから出発している。すなわち、ドラマの開始時点における彼を作ったのは前者であり、後者はそのことを彼に認識させる働きこそすれ、それ自体としては彼の人生に対し、およそ何の意味もつけ加えることはできなかったのだと。五郎の「丸太小屋精神」は、彼が少年時代にいったん放棄したそのアイデンティティを再び発見し、遅まきながらもその完成を目指そうとする過程で生まれたのだとも言えるのである。
 さて、そのような背景の上に、いよいよ五郎の麓郷での生活が始まる。子どもたちの良き親となることにすべての照準を合わせながら、そのことによって自身の自己実現をも図ろうという生活である。そしてその自己実現の到達度の指標となるのが、彼と純との関係性である。前にも述べたように、麓郷に転居する以前から父に深く感情移入していた螢とは違って、純の方はなかなか父に馴染もうとしないわけだが、それは必ずしも純だけに責任があることではない。五郎もまた、自ら純との距離を広げるような態度を長くとり続けていた。もともと純は二人のきょうだいのうちでも特に令子の影響を強く受けたこどもであった。いかにも都会的な純という名を令子から与えられた彼は(螢の方は五郎の命名である)、教育熱心な母の期待によく応えて、学校の成績も良かった。そんな純に対し五郎は親としての全く自信がなく、どう対応してよいのか途方に暮れているという状態で物語が始まる。その五郎の自信のなさは、何よりも彼の言葉づかいによく表われており、彼は幼い息子にいつも「純君」と呼びかけ、「だいぶ、生活になれてきたみたいですね」(前31)というような丁寧な言葉で話をしていた のである。
 その五郎が螢に対するのと同じように純を呼びすてにし、丁寧な言葉づかいをやめて普通の話し方をするようになるのは、麓郷に移住しておよそ三カ月が過ぎた大晦日の夜のことである。それは、水道のなかった彼らの家に一キロ離れた沢から樋で水を引く五郎の計画がようやく実現し、その完成した自家水道を前に、麓郷への転居以来初めて純が素直な感動を表にあらわした日であった。そしてこの日を手初めに、風力発電機、丸太小屋と、五郎の「精神」が一つ一つ形になるたびに、純は少しずつ父に対して心を開き、そうして純が自分の方に歩みよって来るたびに、五郎は一歩一歩自己実現に近づいて行く。
 そういう意味で、このドラマはまぎれもなく父と息子の物語である。だが、それでもなお、このドラマは本質的に五郎と令子の離別の物語であると言わねばならない。なぜなら、こうして五郎が自信を回復し息子の理解を獲得して行く物語のかたわらには、一人東京に暮らす令子の物語があり、彼女はその中で徐々に心身を衰弱させ、ついには命をも落としてしまうからである。

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