三、令子



 令子は五郎との離別に際し、純と螢を手放すことに当初激しい抵抗を示したが(「あなた、あの子たちに今までなにした?」「産んだのは私よ」「育てたのだって」前87-88)、結局五郎の提案をしぶしぶながらも受け入れることになる。言うまでもなく、離別の直接の原因が自分の不倫にあったために、五郎に対して強い態度に出ることができなかったからである。このドラマは、そういう形で子どもたちと別れなければならない自分の苦しい心境を、令子が妹の雪子に訴えるシーンから始まっている。
 けれども、それ以後の令子はもっぱら五郎や純の夢や回想に現われるだけで、彼女が直接画面に登場する場面は数えるほどしかない。特にこのドラマの前三分の一ほどの間、遠く離れた子どもたちを気づかう彼女の肉声は、彼女が子どもたちに書いた手紙や、純が二度ほどかけた電話での短い会話を通じてしか、子どもたちにも視聴者にも伝えられない。それは逆に言えば、麓郷での出来事もまた彼女にはほとんど伝わっていないということであり、例えば、第三回の放映で純は一度東京に戻る決心をし、彼女とは全く関係のないある事情によってその決心を覆すのだが、その事情なるものは彼女には知らされない。また、第四回の放映では、彼女の代わりに麓郷を訪れた弁護士が、東京に戻るよう純を説得しようとして失敗するという事件が起こるが、その弁護士を振り切ったときの純の複雑な思いも、当然ながら令子には全く知らされない。いずれの場合も彼女に知らされるのは、自分の元に戻ると思われた息子が結局は戻って来なかったという結論だけである。
 そんな令子がひさしぶりに視聴者の前に姿を現わすのが、大晦日の夜のシーンである。深夜にようやく美容院の仕事を終えた令子が、店を出る従業員を見送る。

 カーテンを閉めて、一人になる令子。
 間。
 鏡の前につかれはててすわる。
 そのまま、ぼんやり鏡を見ている。
 令子。−−その心につきあげる孤独(前203)。(注8)

そのすぐ前のシーンでは、水道の完成を抱き合って喜び、そのまま水入らずで新年を迎える五郎と子どもたちの姿が感動的に映し出されていただけに、この令子の孤独は強く視聴者の胸を打つ。
 このシーンが伏線となって、その次の回の放映では、令子が突然麓郷を訪れる展開となる。たまたま純と螢が留守をしている間のことで、家には五郎しかいない。その五郎に対し、令子は子どもたちに会わせて欲しいと涙ながらに訴えるのだが、五郎は「いまもしお前が会ったら−−」「これまで−−三か月−−すこしずつできてきた−−オレたちのここでの−−暮らし方が」「きっと、くずれる」(前213)ということを理由に、その願いを拒絶する。結局、令子が翌日再び五郎の家を訪れ、純と螢の姿を遠くから見る。だが母子の対面はしない、ということで双方が合意に達するのだが、ここで視聴者に明らかとなるのは、子どもたちをめぐる夫婦の力関係が今や完全に逆転してしまった、ということである。たった三カ月間子どもたちと離れていただけで、令子はそれまでの一〇年間、自分が彼らを育ててきたのだという自信を早くも失いかけている。夫の憐憫にすがろうとするばかりで、子どもたちを我が手に取り戻したいという本来の欲求を正面きって口にすることは、もはやできなくなっているのである。
 続くその翌日、五郎との約束どおりに、遠くにとめおいた車の中から、令子は子どもたちの姿を盗み見る。当日、五郎は彼がかねてから準備していた風力発電機製作の計画を初めて子どもたちに話し、その製作を手伝えと言われた純と螢は喜々として作業に臨む。狭い車中にうずくまった令子が目の当たりにするのは子どもたちのその作業−−父の指図どおりにまめまめしく働くいかにも「たのしげなその作業」(前220)である。その純と螢の姿を見て、令子は一人東京に戻る。
 そしてこの場面の後、再び令子はしばらく画面から遠のき、次なる登場の場面では病に倒れて入院している。見舞いに駆けつけた純が翌日麓郷に戻るという日、令子は息子に、「明日帰らないで、このままいてくれる?」(後39)とすがる。しかし、純は結局予定どおりに麓郷に戻ってしまい、なぜそうするに至ったかについての説明は、例によって令子には一切与えられない。こうして三たび息子からつき放されたところで、彼女はまたもや画面から姿を消し、春から夏へと季節が流れる間に、視聴者は雪子から五郎に宛てた手紙という形で、彼女の病状があまり思わしくないことを知らされる。麓郷では純と螢が、五郎の立てた丸太小屋建設の計画にすっかり夢中になっていた頃のことである。
 それからしばらくして、ようやく退院にこぎつけた令子は、五郎と最終的な離婚の話し合いをするために再び弁護士を伴って麓郷を訪れ、五郎が子どもたちの親権者になることに正式に同意する。そして五郎の許可を得て、子どもたちと最後の別れのひとときを過ごそうとするのだが、その母に螢は終始よそよそしい態度を取り続け、令子は病気を再発して病院にかつぎこまれてしまう。幸いそのときは大事に至らず、翌日予定どおりに東京へ戻る列車の車窓に、令子は螢の姿をみつける。目からポロポロ涙をこぼしながら、列車を追って必死に空知川の堤を走る螢と、窓から大きく身を乗り出して懸命に手を振る令子−−この「極め付けの子別れ」(注9)のシーンをもって、令子は事実上このドラマから退場して行く。この時点でドラマはようやく全体の三分の二を経過するあたりにさしかかっているが、これに続く都合七回の放映において、生身の彼女が画面に登場することはもう二度とない。
 この別れのシーンから数カ月をへて、令子は雪子に宛てた手紙という形で、彼女がすでに愛人と一緒に暮らし始めていること、いずれ彼と再婚するつもりであることを、五郎と視聴者に告げるのだが、その直後に突如病没してしまう。その彼女の葬儀を終えて東京から麓郷へ帰って来た純と螢を、一足先に戻っていた五郎が駅に出迎えて抱きしめ、彼らの留守中に完成した丸太小屋の新居へと導く。それがこのドラマの最終章である。
 このように、多くの視聴者がこのドラマの象徴ともみなした五郎の丸太小屋は、令子の死とともにその完成を見る。つまりは、五郎の生が一つの大きな結実を見ると時を同じくして、令子の生は完全に滅び去るわけだが、これは決して偶然の符合などではない。五郎の生がより充実したものになるために、令子の死が是非とも必要とされたのだと考えるべきだろう。「男が必死になって自己意識を保とうとすると、女の死が不可避になるのである」(注10)。
 なぜなら、令子の死は単なる病死ではない。これは令子本人だけでなく、彼女の愛人も五郎も雪子も純も、それぞれどこかの時点で認識するに至ったことだが、彼女が発病以来ずっと入院・通院を続けていた病院は、彼女の病状に誤った診断を下していた疑いがあった。そのことは雪子の友人の医師によって早くから指摘されており、その友人も、雪子も五郎も、ことあるごとに病院をかえるよう彼女に勧めていた。それにもかかわらず、令子が頑なに同じ病院にかかり続けたのは、一重にその病院が彼女の愛人の関係筋の病院だったからである。令子は自分がその病院を去ることで、愛人になんらかの迷惑がかかることを恐れ、その結果命を落とした。言い換えれば、その当の愛人によって、間接的に、殺された。くしくも富良野で倒れたときに令子自身が五郎に語ったように、彼女は「バチがあたった」(後123)のである。
 そして、これまでここに考察してきた令子と五郎の離別の物語において、令子がかくも手ひどく罰せられなければならない理由は一つしかない。すなわち、その不倫によって五郎が負わされた傷を救うためである。逆に言えば、令子から母としての自信を奪い、再婚間近でその生命をも奪ってなお癒されない傷が彼にはあったということだが、「男の見栄」(注11)を身上とするこのドラマは、五郎の口から直接その傷みを語らせようという発想を持ち合わせてはいない。そして、本来そういうことを解説する立場にある「語り手」たる純は、螢とは違って、その傷の深さを察知するための情報を、このドラマの作者によって、あらかじめ奪われているのである。

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