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 それに比べると No.3 The Man Who Lost His Wife.は 話も絵も第一冊と非常によく似ている。
 表紙はこれもアイヌの伝統的な模様で縁を飾っている。表には上部にAINO FAIRY TALES By B.H.Chamberain No.3 とあり、手鏡の形にカットされた中に THE MAN WHO LOST HIS WIFE という題と、空色に霞む天の国へと駈け昇る黄金の馬とそれに乗るアイヌの男が描かれている。下部に THEKOBUNSHA TOKYOとある。裏表紙には、正方形にカットされた中に、玉のついた耳飾りが二つ描かれ、ペン字で Aino earringsとメモがある。下部には美しい木彫りをほどこした煙管かと思われる道具が描かれ、同じくペン字で smoking gearとメモがある。NO.2 の楽器を演奏するアイヌと同じ人の筆致である(図9)。裏表紙裏には、アイヌと全く関係なく、色鮮やかな紅葉の短冊と桜の色紙があって、これは見慣れた永濯の絵である。No.3にはちゃんと奥付があり、明治二十年十月印刷、出版とある。五月に版権を取得しているのに、出版までに日数がかかっているのはなぜだろう。No.1 15銭 ,No.2 10銭 ,No.3 12銭である。この値段から見ても No.2 は本としては未完成であるのに、アイヌの生活を採集した点が面白いとみて、無理にシリ−ズに入れたのではないかと考えられる。第三冊の奥付には、著者 英国臣民チャンバレ−ン東京市赤坂区台町十九番地、発行者 東京府平民 長谷川武次郎 京橋区丸尾町三番地、画工 東京府平民 小林永濯 東京府南葛飾郡小梅村三十五番地、印刷者 長崎県平民 中尾黙次 東京市京橋区山下町二十二番地 桑原活版所とあって、絵が永濯であることが明記されている。表紙、奥付以外の本文の絵は、第一冊と同じくすこぶる地味で、黒、茶、紺、水色に限っている。
 物語の書き始めは「とても変わったことが時々起こるものだが、アイヌの国で妻を失ったペンリという男の冒険は、就中変わっている」( Very strange things sometimes happen; but the strangest that ever happened inAino-Land was the adventure of a man called Penri,who lost his wife.)と書き出され昔話の初めの決まり文句はない。物語は次のようなものである。

 ペンリの妻はある朝、山へ薪をとりに行ったのだが、一日過ぎても二日過ぎても、三日過ぎても帰らなかった。ペンリは心配でたまらず妻を探しに行く。岡を越え、谷を渡り、山に登り、海岸までくまなく探した。そのうち一本の樫の木が立っている平原に出た。近づいてみると、木には大きな洞穴があり、そこに優しそうな年寄がいた。彼は長い灰色の髭を生やし、髪も肩にかかるほど長く、鳥の羽毛の着物を着て、額に木の葉で作った  冠をかぶっていた。挨拶をしたペンリに老人は言った。「よく来た、ペンリ。わしは樫の木の精だ。お前を悲しい目にあわせているつれあいの失踪のことも、お前が谷、山、森、海岸まで忠実に心をこめて探したのも知っている。ここでしばらく休むがよい。そしてこの一杯の水を飲み、わしの  煙管で一服するがよい。」そこでペンリは座って水を飲み、煙管で一服した。木の精は言った。「お前が妻を探したいなら、わしの言うとおりにしなければならない。お前はわしの金の馬に乗って天空の都に行き、着いたら、できるだけ大きな声で街路を歌って回れ。どんなことがあっても心を乱してはならない。」
 そこでペンリは用意された金の馬に乗った。鐙も鞍も金だった。乗るや否や馬は空高く駈け上り、しばらくすると、この世の真上の真っ青な場所に着いた。そこには立派な都市があり、妖精たちが住んでいた。ペンリは来る日も来る日も金の馬に乗って街路を走り、大声で歌い続けた。妖精たちは驚いてなんという狂人がやって来たのだろうという目付きで彼を見た。ペンリの歌うこっちの世界のこの忌まわしい音から逃れようと耳を覆う者、走り逃げる者、家へ逃げ込む者もいた(図10)。とうとう妖精の王が自ら出てきて「すぐさまこの歌を止めて、消え失せれば、お前の妻を見付けさせてやろう」と言った。もちろんペンリは妖精の王に逆らうことはできなかった。そこで彼は金の馬で地上へ戻り、樫の木の前で馬を降りるや、髭を生やし木の葉の冠をかぶった老人に言った。「戻って来ました。あなたの命じた通りにしましたが、妻を見付けられませんでした。」「多分そうだろう。だが今じきに見つかるよ」と老人は答えた。「お前は空の都で起こした騒ぎが何であったか分かっていないだろう。それにわしはお前の妻がどの ようにしていなくなったのかをまだ話していない。今からそれを教えよう。彼女を攫ったのは性悪の悪鬼なのだ。鬼は自分の棲み家である地下へ、この洞穴を通って彼女を運んだのだ。そこで彼女を頑丈な箱に閉じこめた。腹が減ったら食べようと思ってな。人食い鬼は空で騒がしい声がするのを聞いて天を見上げた。鬼はそこで金の馬に乗った男が町中を大声でよばわって走り回り、妖精たちが逃げまどっている光景を見てひどく驚いてそこから目を離すことができなくなった。鬼は他のことをみな忘れ、今も空を見続けている。そこでわしが今からしようと思うことを言おう。わしは人食い鬼の後に忍び寄り、鬼が天に注意を奪われている間に、お前の妻を箱から出してやろう。」「おお、ありがとう」ぺンリは感謝した。そこで老人は約束したことを果たして妻を連れ戻し、ぺンリに言った。「お前の妻から目を離さず十分注意するように。人食い鬼は二度と油断することはないからな。お前が熱心に妻を探した褒美にこの金の馬をお前に遣わそう。ここにお前の妻のための銀の馬もある。」ぺンリと妻は、金、銀の馬に乗り家路をさして、山、谷を越え、森を抜け、海辺を過ぎ、遂に我が家へ辿り着いた。 そしてそれからは幸せに暮らしたということだ。

 昔話の観点から見ても不完全な話で、とても優れた再話とは言えないが、そのことはかえって、聞き書きによる再話ということを証している。
 ぺンリという固有名詞は、先にあげた『アイヌの昔話』にも見当らない。おそらくチェンバレンが採集活動の中で耳にした倭人とは響きの違う名前を創作したものだろうと考えていた。ところが福家重敏『ネズミはまだ生きている―チェンバレンの伝記―』(注15)の中に、チェンバレンが幌別にいたバチェラーを訪ねた時の記事があリ、そこには「昼はアイヌ・コタンに出掛けて民話を採集し、夜はその整理に余念がなかった」という記述があった。さらにチェンバレンにとって三回目の北海道訪問の時に「平取のぺンリ、幌別のカンナリ、シュムンユのイシャナシュナ、札幌のクテアシュクルというアイヌ人から話を聞いた」と書いてある(注16)。チェンバレンが1886年(明19)夏に採集した32話の中に.7沈ルル"WZルoLosノHたW舵ほか二話」というのがあった(注l7)。主人公ぺンリは平取の語り部の名を借りたものだったのだ。
 この話は昔話の分類上からは暖昧な再話としか言えない。主人公が天上、地下、海(水)底と覚しきところへ行って何らかの財宝を贈られる話、またそれを妬んで真似た隣人が酷い目に遭うという構造を持った「異郷講」は数多いが、チェンバレンの話にも不完全ではあるがその断片はある。最後は蓬莱の国へと昇り幸せになる「浦島」がやや似ていると言えるかも知れないが、ぺンリの話には亀などを助けるという誘因もないし、玉手箱を開けるといったタブーの侵犯もない。「鼠浄土」「地蔵浄土」「瘤取り」「舌切り雀」なども「異郷譚」に数えられるが、これらの場合は主人公はその性質のよさのために異郷へ行ける。
その、点は誠実に妻を捜し求めたぺンリも共通すると言えようが、ここには性悪であったり、粗忽であったりする対立する人物の存在が欠けている。この話は強いて言えば、アイヌの持つおおらかな自然との交感を、人を疑わぬ純真な主人公が味わう悲哀と幸せという話に作りあげたものと言えよう。
 樫の木の精として登場する老人が、主人公ぺンリの生を支配するわけだが、そこに人間と木の精との自由な交感を見ることはできる。樫の木の精がなぜ幸せな贈り物をしたかと言えば、それは妻を求めるぺンリの誠実な愛であり、他人を疑わぬ愚直ともいえるほどの一途さであろう。自分には意味の分からぬ命令に、たとえ嘲笑されようとも、忌み嫌われようとも、一途に従うという性向が幸せな結末を呼んだということになろう。天空の都や、そこに住む妖精たちはぺンリにとって何ら幸せなものではなかったし、ぺンリもそこで歓待されるということもない。ぺンリの奇行は樫の木の精の「試し」なのだが、この話では、それが一方で地下の悪鬼への計略にもなっている。樫の木の精と、天界の王と、地下の悪鬼の力関係が、この話では暖昧である。天界の王は樫の木の精の計略に手もなく屈伏しただけなのに、「歌を止めれば妻を見つけてやろう」とまるで全てが自分の権限のもとになされるように言う。しかもこの場合、ぺンリが天界の王の言葉にも耳を貸さぬとなってはじめて樫の木の精の「試し」が成就するのかと思うと、「王の命令には逆らえぬ」とすごすご樫の木の許へ戻ってくる。しかし樫 の木の精の計略はそれで功を奏したことになっていて、地下の悪鬼の虜になっている妻を救い出すことがてきる。人食い鬼や、山姥が狡知に長けているようで、どこか愚かで、最後はその愚かさのために酷い目にあったり、退治される話は枚挙にいとまがない。とはいえこの話では、人食い鬼の恐ろしさは具体的に語られぬ上、あまリといえばあまリの愚かさで、鬼退治というスリルに富んだ冒険の要素は全くない。ぺンリは「杜子春」ほどの試練も受けぬまま、樫の木の精が取リ戻してきてくれた妻と幸せになる。
 この話はこのように構成が雑で物語としては見るべきものがない。関心を持つとすれば、チェンバレンがアイヌの地で採集したものを、忠実に再話した点にこそある。
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