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年末回顧
昨年が大人のそれとしたら、今年は子どものインターネット元年かもしれない。2
003年にすべての小、中、高、養護学校をインターネットで結ぶ方針が文相から発表され(十一月三日)、通産省と文部省による百校プロジェクトも第二期に入った。そうした流れの中、『えでゅ』(アスキー)『デジタルキッズ』(小学館)といった雑誌の他、『小中学生のインターネット入門』(ジェイソン・ペイジ著田中浩子訳文渓堂1165円)、『小学生でもすぐできるインターネット』(監修高木啓伸講談社 1500円)などが出版された。前者はネット使用に関するモラルも含め著者の考えが前に出ていて、後者は接続方法マニュアルであるという違いはあるものの、子どもがインターネットを始めるに当たって便利な書物に仕上がっている。
児童文学がインターネットとどう関係していくかはまだまだ未知だが、出版情報を直接読者に伝えやすくなってきたのは確か(私自身も現在、情報の半分以上をそこから得ている)。それと、作品そのものをネット上から届ける作家も出てくるだろう。例えば「編集者が本を愛しているとは、ぼくには思えない」(『季刊・本とコンピューター2』トランスアート 1300円)と記した長谷川集平は、そうした可能性をほのめかしている。その場合、モニターで読む物語は紙の上のそれとは違う質のものが生まれるはず。児童文学の新しい技巧が現れるやろうね。 今年の児童文学に関しては、ゲイの父親を描いた『両手の中の海』(西田俊也作徳間書店 1339円)、アイデンティティのありようを新しい角度から照射した『さて、ぼくは?』(モニカ・フェート作松沢あさか訳 さ・え・ら書房 1300円)と『アリスの見習い物語』(カレン・クシュマン作柳井薫訳 あすなろ書房1300円)、「悪意」をむき出しのまま提示してみせた『ぼくの心の闇の声』(ロバート・コーミア徳間書店 千二百円)などが印象的だった。これらは、児童文学の既成の枠組みを広げたというより、越境したというより、児童文学が、囲い込まれると同時に安住しているゲットーの壁を無視し、それでも児童文学として成立する様を示している。 もっとも、そのような傾向の濃い作品を中心に紹介してきた(つまりかなり偏向した選書をしていた)ため、もれてしまった中にも、捨て難いものは多数あった。 神話伝説歴史などを背景または下敷きにして、安定した物語の中に引きずり込む技は、近頃すっかりRPGに奪われた感じやけれど(例えば今年なら、「バラ戦争」を素材に使ったという『FAINAL FANTASY TAKUTICS』(スクウェア6800円)は、血族、階級、愛、憎悪、策略、正義、裏切り、信頼、謎、友情等々、物語を面白くするありとあらゆる要素を惜しげもなくつぎ込み、百時間以上、私たちを心地よい目眩に誘った)、モニター上ではなく紙の上だからこそのおもしろさを示してくれたものもある。 「長女はなにをやってもうまくいかない」という昔話のパターン通りに「荒れ地の魔女」に呪いをかけられ九十歳の老婆となってしまったソフィーと魔法使いハウルの活躍を描く『魔法使いハウルと火の魔法』(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ作西村醇子訳 徳間書店 1600円)。女王と結婚するために、自分を誉める歌を国一番の語り部に作らせようとする魔法使いを、北欧神話をベースにして描く、『オーディンとのろわれた語り部』(スーザン・プライス作当麻ゆかり訳 徳間書店 1200円)。ふいてもふいても乾かない毛を持つ不思議な猫を、人魚伝説を加工して創出した、『水のねこ』(テレサ・トリムンソン作久慈美貴訳 徳間書店 1300円)。舞台を石器時代に置くことで父と息子の物語を再描写してみせた、『歌う木にさそわれて』(マルガレータ・リンドベリィ作石井登志子訳 徳間書店 1300円)などがそうやね。 日本の物語では、記憶を失った野ウサギを範囲の限られた孤島に置くことで、冒険を活性化した『野ウサギのラララ』(船崎靖子 船崎克彦著理論社 1800円)。絶滅したはずのドード鳥を生かすために「小間使い」になってしまう少年の冒険、『ドードー鳥の小間使い』(柏葉幸子作偕成社 1200円)。人間になろうとするカラスの野望を知ったことで、カラスにされてしまう少年の活躍を読ませる、『満月の夜古池で』(坂東真砂子作偕成社 1200円)などが、印象深かった。 ただし、どれもが動物を素材にしているのはなぜやろう?
読書人 26/12/97
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